さて、市民運動が成功した例として挙げられるのは、地雷廃絶でしょう。
劣化ウランの場合は原子力産業という大きな壁が立ちはだかりますが、この運動を成功させるためには地雷廃絶キャンペーンの取り組みを参考にしない手はありません。
今回11月7日の明治学院での集会には、地雷廃絶に本キャンペーンからも目加田説子さんに特別ゲストとして来ていただくことになりました。そこで目加田さんの紹介です。
1998年6月の寄稿をネットで見つけました。
昨年12月、カナダの首都オタワで対人地雷を全面禁止する画期的な国際条約の調印式が開かれ、世界 123か国が署名した。最も注目されるのは、この条約が成立した経緯、過程が多くの面でこれまでの軍縮条約と異なっている点だ。
第一の特徴は、対人地雷問題の深刻さに世界の目を向けさせたのが、地雷被害に苦しむ国で活動するNGOの人たちだったという事実だ。これらのNGOは国際的なネットワーク(地雷禁止国際キャンペーン:ICBL)によって、世界に運動の輪を広げていった。画期的だったのは、ICBLは対人地雷の「廃絶」をターゲットに置いたうえで行動したことだった。
つまり、除去しても除去しても地雷がばらまかれる限り、地球上からこの非人道的な無差別殺傷兵器による被害をなくすことはできないと確信し、国際的な運動を展開したのだ。
しかし、NGOだけの力で国際条約はつくれない。そこでICBLは地雷問題に真摯な態度で臨む国々と協力関係を築き、条約交渉をスタートさせた。その道のりは平坦ではなかったが、交渉の過程で大きなパワーを発揮したのが、NGOによって集積された情報、そしてネットワークだった。
軍事問題を専門とするNGOは過去の戦争資料から対人地雷という兵器の非有効性を指摘し、医療を専門にするNGOは地雷がもたらす恒久的身体傷害の悲惨さを説いた。子供の問題に取り組むNGOは、多くの被害者が幼い子供であることを訴えた。調査・研究を得意とするNGOは、パソコンや冷蔵庫に使われている部品が対人地雷にも使われている実態を明らかにし、対人地雷への部品提供をやめるよう呼びかけた。各々のNGOが持つ専門性をフルに活かしながら、条約づくりの道を切り拓いていったのだ。
対人地雷問題を単に軍備管理問題ととらえず、広く人道的問題として位置づけることによって、幅広い分野のNGOがネットワークを組んだことも、成功の要因だった。ICBL傘下の1000を超えるNGOは、一団体や一か国の団体だけでは収集しきれない情報を交換し、「共有財産」として利用した。超大国アメリカといえども、ICBLのこうした多面的な情報戦には、まともには太刀打ちできなかった。
専門性を活かした情報収集能力と、国境を超えたネットワークを「平和的武器」にして、NGOの連合体は国際政治を突き動かした。それは、国際政治という文脈にとどまらず、市民社会の歴史にとっても、革命的な出来事だったと言えるだろう。専門性を活かしたネットワーク型市民運動は、今後様々な問題にも応用されるに違いない。
目加田説子(めかた もとこ, 1961年-)政治学者。中央大学総合政策学部教授。地雷廃絶日本キャンペーン(JCBL)運営委員。専門は、国際政治学、NGO論、トランスナショナル市民社会論。
静岡県生まれ。上智大学外国語学部卒業。ジョージタウン大学大学院で国際政治学の修士号を取得後、日本国際交流センター、フジテレビ報道局報道センター勤務。1992年フジテレビ退社後、コロンビア大学大学院を経て、大阪大学大学院国際公共政策研究科から博士号取得。東京財団研究員、経済産業研究所研究員、関西学院大学、東京大学、早稲田大学の講師を務め、2004年から現職。
劣化ウランの場合は原子力産業という大きな壁が立ちはだかりますが、この運動を成功させるためには地雷廃絶キャンペーンの取り組みを参考にしない手はありません。
今回11月7日の明治学院での集会には、地雷廃絶に本キャンペーンからも目加田説子さんに特別ゲストとして来ていただくことになりました。そこで目加田さんの紹介です。
1998年6月の寄稿をネットで見つけました。
昨年12月、カナダの首都オタワで対人地雷を全面禁止する画期的な国際条約の調印式が開かれ、世界 123か国が署名した。最も注目されるのは、この条約が成立した経緯、過程が多くの面でこれまでの軍縮条約と異なっている点だ。
第一の特徴は、対人地雷問題の深刻さに世界の目を向けさせたのが、地雷被害に苦しむ国で活動するNGOの人たちだったという事実だ。これらのNGOは国際的なネットワーク(地雷禁止国際キャンペーン:ICBL)によって、世界に運動の輪を広げていった。画期的だったのは、ICBLは対人地雷の「廃絶」をターゲットに置いたうえで行動したことだった。
つまり、除去しても除去しても地雷がばらまかれる限り、地球上からこの非人道的な無差別殺傷兵器による被害をなくすことはできないと確信し、国際的な運動を展開したのだ。
しかし、NGOだけの力で国際条約はつくれない。そこでICBLは地雷問題に真摯な態度で臨む国々と協力関係を築き、条約交渉をスタートさせた。その道のりは平坦ではなかったが、交渉の過程で大きなパワーを発揮したのが、NGOによって集積された情報、そしてネットワークだった。
軍事問題を専門とするNGOは過去の戦争資料から対人地雷という兵器の非有効性を指摘し、医療を専門にするNGOは地雷がもたらす恒久的身体傷害の悲惨さを説いた。子供の問題に取り組むNGOは、多くの被害者が幼い子供であることを訴えた。調査・研究を得意とするNGOは、パソコンや冷蔵庫に使われている部品が対人地雷にも使われている実態を明らかにし、対人地雷への部品提供をやめるよう呼びかけた。各々のNGOが持つ専門性をフルに活かしながら、条約づくりの道を切り拓いていったのだ。
対人地雷問題を単に軍備管理問題ととらえず、広く人道的問題として位置づけることによって、幅広い分野のNGOがネットワークを組んだことも、成功の要因だった。ICBL傘下の1000を超えるNGOは、一団体や一か国の団体だけでは収集しきれない情報を交換し、「共有財産」として利用した。超大国アメリカといえども、ICBLのこうした多面的な情報戦には、まともには太刀打ちできなかった。
専門性を活かした情報収集能力と、国境を超えたネットワークを「平和的武器」にして、NGOの連合体は国際政治を突き動かした。それは、国際政治という文脈にとどまらず、市民社会の歴史にとっても、革命的な出来事だったと言えるだろう。専門性を活かしたネットワーク型市民運動は、今後様々な問題にも応用されるに違いない。
目加田説子(めかた もとこ, 1961年-)政治学者。中央大学総合政策学部教授。地雷廃絶日本キャンペーン(JCBL)運営委員。専門は、国際政治学、NGO論、トランスナショナル市民社会論。
静岡県生まれ。上智大学外国語学部卒業。ジョージタウン大学大学院で国際政治学の修士号を取得後、日本国際交流センター、フジテレビ報道局報道センター勤務。1992年フジテレビ退社後、コロンビア大学大学院を経て、大阪大学大学院国際公共政策研究科から博士号取得。東京財団研究員、経済産業研究所研究員、関西学院大学、東京大学、早稲田大学の講師を務め、2004年から現職。
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by kuroyonmaki
| 2005-10-30 20:06