中東を拠点に国際協力の分野で活動する佐藤真紀のオフィシャル・ブログ コメントはkuroyonmaki@yahoo.co.jpまで


by kuroyonmaki
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2007年 05月 04日 ( 2 )

ゴールデンウィーク

なんだか、とってもいい天気で、布団を干した。
とうとう私も、一人暮らしをする羽目になってしまったのだが、なかなか掃除が終わらない。
僕は97年に日本を離れてから、あちらでは、飯とか作っていたけど、こっちに帰ってきてなんとなく、イラク漬けにされてしまい、日本の生活がまったく目に入ってなかったのだ。
まず驚いたのは野菜が高い。肉より高いじゃないか!イラクやヨルダンは金がなくて貧乏人は肉が食えへんといっているのになんでやー。
と驚くことしきり。
バイクで閉店前の西友へいく。
うわー、原付乗るのも実は10年ぶり??だったりして。
時間がすっかり止まってしまっていたことにわれながら驚くのである。
 さて、こんばんは、ワインでもの見ながら、アラブ風、フランス料理?でも作ろうかと張り切っていると、480円のうな重が半額、ロースカツどん半額。いいぞ、というわけで自炊計画は遠のいてしまった。

 
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by kuroyonmaki | 2007-05-04 23:25 | 日本でのイベント
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 ブッシュ大統領のイラク戦争終結宣言が出たのが2003年の5月1日。あれから、4年。
私は、緊急救援活動を終えてちょうど、バグダッドからアンマンに戻ってきたたころだった。
 一貫して、このイラク戦争には、反対を訴えてきた。2002年、サダム政権末期にようやくイラクに行くことができたが、そこでは、子どもたちの目がきらきらと輝いていたのを思い出す。
その中でも、当時9歳だったスハッドちゃんの目がもう本当にきらきらとこぼれそうに輝いていたのを思い出す。
彼女が書いてくれた絵は、まず女の子。でも指が画けなかった。そこで、僕が、ほら、指は5本あるでしょと教えると、男の子が手をいっぱい広げて、女の子を守っているような絵を画いてくれたのだ。
 これで、決まり!私は、その絵を日本に持って帰って早速、ポスターを作った。このポスター、結局、4万枚くらい作ったと思う。「イラクを攻撃したら世界は平和になりますか?」
さて、4年後の今。世界は平和になっただろうか?
ワールドピースナウでは、多くの人たちが、「かわいい」といって、このポスターをもって歩いた。
戦争が始まると、彼女たちはどうしているんだろうかと心配したが、庭に防空壕を掘って生き延びた。
スハッドの父は、音楽学校の警備員をしているために、学校に住み込んでいた。
 フセイン政権があっけなく崩壊した後、イラク人がびっくりしたのは、「アリババ」つまりは、略奪である。音楽学校にも暴徒が入りこみ、楽器を壊して行った。
「イラクはひとつ!」子どもたちは願いをこめて絵を描いた。
それから4年たち、子ども達の願いもむなしくイラクはばらばらになって殺しあっている。このようになる状況を子ども達は見抜いていたのかも知れない。
 私は、絵本を作った。「お兄ちゃん死んじゃった」がそれだ。谷川俊太郎さんの詩にイラクの子ども達が絵をつけるという企画だったが、何せ、小学校が夏休みになってしまい、仕方がないので、誰もいない校舎で、スハッドの兄弟たちに集まってもらい、ワークショップを行ったのが懐かしい。あのころが一番平和なときで、彼らもめいっぱいの色彩を用いて、楽しんで絵を描いていた。
 どうしているのかなと思い、バグダッドの友人に様子を見てきてもらった。戦争中よりも、今のほうが心配である。一日100人はテロや攻撃に巻き込まれて死んでいる。私たちの知り合いの家族も何人かは殺された。確率は日増しに高くなっているのだから。
送られてきた写真を見るとずいぶんと大きくなっている。写真ではよくわからないのだが、平和のメッセージを書いてくれたそうだ。
 4年前に出会ったがんの子どもたちは、多くが死んでしまった。そして、長い治療生活が終わる最終段階になって薬がなかったり、病院に通うことができずしんで行く子供が増えている。私にとっても、悲しいことが多かった4年間だった。
スハッドが地獄と化したバグダッドで元気に生きていてくれることにとってもうれしくなった。
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by kuroyonmaki | 2007-05-04 04:04 | イラク情報