除染って哲学だし、生き方なんだ。福島の大内さん
2011年 08月 26日
8月22日、福島の果樹園の除染活動を手伝う。アジサイの植え込みが30マイクロシーベルトを示し、ホットスポットを何とかしなければということで、アジサイの木を根こそぎ引っこ抜き、土を剥ぎ取ることに。京都精華大学の山田教授が指導する。しっかりと大地に根を張ったアジサイは、たとえ放射能にさらされようが、生きようと必死だ。抜くのが一苦労。汗と泥と放射能にまみれながらの作業。私はスコップを折ってしまった。小雨が時折降る中で、気温も随分涼しくなってきているが、防護服を着ての作業はこたえる。表土を剥ぎ取り土を入れ替えると、30マイクロシーベルトあった線量が1を切った。抜いたアジサイを細かく切り刻んで土嚢袋に入れていく。これらの廃棄物を棄てる場所がないから、敷地内に仮おきをするしかない。
朝9:30から始めた作業。昼飯をはさんで、3時ごろには終了した。
皆が帰った後大内さんと話した。
「原発が事故を起こしたのを見て、ああ、これで私たちは、加害者になってしまったんだ。そう思うと涙が止まらなかった。布団から起き上がれないほどの虚脱感がありました。その償いのために、出来る限りのことをしようと思う。これからどうなるかわからないけど、それを受け入れる準備はできています。福島で起きた事故で、ドイツやイタリヤが原発を止めたように、私たちが発信していくことは大きいと思う。
私たちのセルフイメージを作っていく、その過程で病に倒れても怖くない。新しく生まれてくる子供たちの為に私は福島の人間なんだと誇れるものを残したい。放射能に対する恐怖というものもありますが、自分がしっかりしたものを持っていれば怖くない。障害を持った子どもが生まれてきても、だから不幸だということでもない。除染しても福島は住めないという人もいるけど、子どもたちが大きくなって、あちこちに出向いたときに、ああ、福島から来てくれたんだ、ありがとうって言われるようになってほしい。一時的に避難とか疎開が必要だと思うけど、除染しながら新しいことを始めなければいけないと思う。」
僕らが除染に参加することで、おおきな改善が見られるわけではない。しかし、彼女達と未来に向けた希望を語りたい。
詳細は以下のブログをご覧ください。
大内果樹園
佐藤真紀
朝9:30から始めた作業。昼飯をはさんで、3時ごろには終了した。
皆が帰った後大内さんと話した。
「原発が事故を起こしたのを見て、ああ、これで私たちは、加害者になってしまったんだ。そう思うと涙が止まらなかった。布団から起き上がれないほどの虚脱感がありました。その償いのために、出来る限りのことをしようと思う。これからどうなるかわからないけど、それを受け入れる準備はできています。福島で起きた事故で、ドイツやイタリヤが原発を止めたように、私たちが発信していくことは大きいと思う。
私たちのセルフイメージを作っていく、その過程で病に倒れても怖くない。新しく生まれてくる子供たちの為に私は福島の人間なんだと誇れるものを残したい。放射能に対する恐怖というものもありますが、自分がしっかりしたものを持っていれば怖くない。障害を持った子どもが生まれてきても、だから不幸だということでもない。除染しても福島は住めないという人もいるけど、子どもたちが大きくなって、あちこちに出向いたときに、ああ、福島から来てくれたんだ、ありがとうって言われるようになってほしい。一時的に避難とか疎開が必要だと思うけど、除染しながら新しいことを始めなければいけないと思う。」
僕らが除染に参加することで、おおきな改善が見られるわけではない。しかし、彼女達と未来に向けた希望を語りたい。
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大内果樹園
佐藤真紀
by kuroyonmaki
| 2011-08-26 08:38
| 東北