ヒロシマはフクシマに責任があるのか
2011年 08月 18日
広島責任

広島原爆投下から66年、福島原発の事故で、新たなヒバクシャを作ってしまった。
原水爆禁止世界大会を作った故森瀧市郎氏の「核との共存はありえない」という言葉が響く。記念式典。
秋葉市長からバトンタッチした松井市長は、福島原発事故にふれ、脱原発を主張する人々や、再生可能エネルギーの活用を訴える人々がいることを国は真摯に受け止めるべきだと主張した。
また、菅首相は、今までの原子力政策を反省し「原発に依存しない社会をめざす」と語った。なぜか拍手はなかった。
湯崎知事は、記者会見で、菅首相のスピーチに対し、「核兵器廃絶と方向が違う『脱原発』が注目されるのはいかがなものか。 注目が集まる場で支持率上昇を狙った発言と疑われても仕方がない」と批判している。

わたしは、森瀧市郎氏の娘の森瀧春子氏と一緒に劣化ウラン廃絶運動に携わってきた。かれこれ8年になる。広島の市民集会のテーマは、「内部被爆から問い直す核/原子力体制」
ヒロシマ・イラク・フクシマ タイトルになっていた。
田中利幸教授は、ヒロシマの責任を追及する。
いかにヒロシマが核の平和利用を推進してきたか。東海村でJCOが事故をおこしたとき「原子力は、原爆の恐ろしさを知った上で使われている。被爆者の平和利用だけに使って欲しいという悲痛な叫びに支えられ、今日まで続いてきた。その過程は風化させてはならない」自身も被曝した森一久日本原子力産業会議副会長(当時)のような考え方が主流であった。歴代の市長も、核廃絶を訴え続けたが、原発を否定したことはなかったという。
アイゼンハワー米大統領が1953年に国連で「平和のための核」を訴える。真意は、水爆実験の成功したソ連を牽制し、西側諸国に、核燃料と核エネルギー技術を提供することで、米国の政府と資本の支配下に置くことが狙いだった。そのために、ヒロシマの人びとが、核の平和利用を理解し賛同するように仕向けた。ヒロシマに原発をつくるというキャンペーンが展開されていった。だから、ヒバクシャたちも原子力に未来を感じていったのだ。
森瀧市郎ですら、1956年第二回原水爆禁止世界大会で「破滅と死滅の方向に行く恐れのある原子力を決定的に人類の幸福と繁栄の方向に向かわせる事が私たちの唯一の願い」とのべるようになった。その後、森瀧は、自らを反省し、「核と人類の共存はありえない」と1994年に死去するまで核絶対否定を貫きとしたが、日本に原発が54基も作られるようになったことに、ヒロシマが大きく貢献したことは歴史的な事実となったし、市民運動は、阻止できなかった。そして、フクシマの事故がおきた。ヒロシマが責任を持って行動をすべきときが来ているとの声が聞かれる。福島からやってきた、佐藤和良いわき市議は、「福島は切り捨てられ、実験台にされている。これは、かつてABCCがやってきたことと同じ。長崎大の山下教授とあわせ、広島大学からも神谷教授が、放射能が安全だと喧伝しに来ている。止めて欲しい」と訴えた。
最後に、森瀧春子氏が訴えた。
「2015年、世界のヒバクシャを集めた大会をヒロシマで行なおう。
世界中から力を結集しよう。声をひとつにしておおきな連帯のなかでとりくむ。少しでも油断はできない。さまざまなテクニックを持ったキャンペーンにおしかえされる、ウラン鉱山、劣化ウランなど、核分裂サイクルだけでなく、核そのものを拒否していかないと人類そのものが核に拒否される。
フクシマだけではなく、世界を汚染してしまう責任、しかし、フクシマの人たちを支援しどう戦っていくのか、ABCCにモルモットにされた悪夢を 再びゆるしてはならない、良心を持った科学者なら、どうリスクを減らしていくのか、科学者の知恵を結集させるべき、直ちにすべての原発を止めるべきだし、一人づつをどう支援していくか、ヒバクシャが66年世界から支援を受けてきたことを生かしたい。」
その後の分科会では、ひっそりと劣化ウラン弾禁止の取り組みが話し合われた。震災で計画していた活動が中断してしまったのも事実である。しかし、劣化ウランの問題は、まさに、核燃料サイクルの平和利用から、兵器が作られ実戦使用され続けているという悲劇であり、平和利用を喧伝する原発推進派はなおさらこの問題を避けて通れないはずである。
劣化ウランから考えれば、核兵器も、原発のあり方ももっと真摯に見直すべきだろう。
11月の共同行動デーに向け、わかりやすいリーフレットを作成する。
今後もJIM-NETは劣化ウラン禁止に関し声をあげていく。

集会でイラク戦争の犠牲者を説明する佐藤事務局長
広島原爆投下から66年、福島原発の事故で、新たなヒバクシャを作ってしまった。
原水爆禁止世界大会を作った故森瀧市郎氏の「核との共存はありえない」という言葉が響く。記念式典。
秋葉市長からバトンタッチした松井市長は、福島原発事故にふれ、脱原発を主張する人々や、再生可能エネルギーの活用を訴える人々がいることを国は真摯に受け止めるべきだと主張した。
また、菅首相は、今までの原子力政策を反省し「原発に依存しない社会をめざす」と語った。なぜか拍手はなかった。
湯崎知事は、記者会見で、菅首相のスピーチに対し、「核兵器廃絶と方向が違う『脱原発』が注目されるのはいかがなものか。 注目が集まる場で支持率上昇を狙った発言と疑われても仕方がない」と批判している。
わたしは、森瀧市郎氏の娘の森瀧春子氏と一緒に劣化ウラン廃絶運動に携わってきた。かれこれ8年になる。広島の市民集会のテーマは、「内部被爆から問い直す核/原子力体制」
ヒロシマ・イラク・フクシマ タイトルになっていた。
田中利幸教授は、ヒロシマの責任を追及する。
いかにヒロシマが核の平和利用を推進してきたか。東海村でJCOが事故をおこしたとき「原子力は、原爆の恐ろしさを知った上で使われている。被爆者の平和利用だけに使って欲しいという悲痛な叫びに支えられ、今日まで続いてきた。その過程は風化させてはならない」自身も被曝した森一久日本原子力産業会議副会長(当時)のような考え方が主流であった。歴代の市長も、核廃絶を訴え続けたが、原発を否定したことはなかったという。
アイゼンハワー米大統領が1953年に国連で「平和のための核」を訴える。真意は、水爆実験の成功したソ連を牽制し、西側諸国に、核燃料と核エネルギー技術を提供することで、米国の政府と資本の支配下に置くことが狙いだった。そのために、ヒロシマの人びとが、核の平和利用を理解し賛同するように仕向けた。ヒロシマに原発をつくるというキャンペーンが展開されていった。だから、ヒバクシャたちも原子力に未来を感じていったのだ。
森瀧市郎ですら、1956年第二回原水爆禁止世界大会で「破滅と死滅の方向に行く恐れのある原子力を決定的に人類の幸福と繁栄の方向に向かわせる事が私たちの唯一の願い」とのべるようになった。その後、森瀧は、自らを反省し、「核と人類の共存はありえない」と1994年に死去するまで核絶対否定を貫きとしたが、日本に原発が54基も作られるようになったことに、ヒロシマが大きく貢献したことは歴史的な事実となったし、市民運動は、阻止できなかった。そして、フクシマの事故がおきた。ヒロシマが責任を持って行動をすべきときが来ているとの声が聞かれる。福島からやってきた、佐藤和良いわき市議は、「福島は切り捨てられ、実験台にされている。これは、かつてABCCがやってきたことと同じ。長崎大の山下教授とあわせ、広島大学からも神谷教授が、放射能が安全だと喧伝しに来ている。止めて欲しい」と訴えた。
最後に、森瀧春子氏が訴えた。
「2015年、世界のヒバクシャを集めた大会をヒロシマで行なおう。
世界中から力を結集しよう。声をひとつにしておおきな連帯のなかでとりくむ。少しでも油断はできない。さまざまなテクニックを持ったキャンペーンにおしかえされる、ウラン鉱山、劣化ウランなど、核分裂サイクルだけでなく、核そのものを拒否していかないと人類そのものが核に拒否される。
フクシマだけではなく、世界を汚染してしまう責任、しかし、フクシマの人たちを支援しどう戦っていくのか、ABCCにモルモットにされた悪夢を 再びゆるしてはならない、良心を持った科学者なら、どうリスクを減らしていくのか、科学者の知恵を結集させるべき、直ちにすべての原発を止めるべきだし、一人づつをどう支援していくか、ヒバクシャが66年世界から支援を受けてきたことを生かしたい。」
その後の分科会では、ひっそりと劣化ウラン弾禁止の取り組みが話し合われた。震災で計画していた活動が中断してしまったのも事実である。しかし、劣化ウランの問題は、まさに、核燃料サイクルの平和利用から、兵器が作られ実戦使用され続けているという悲劇であり、平和利用を喧伝する原発推進派はなおさらこの問題を避けて通れないはずである。
劣化ウランから考えれば、核兵器も、原発のあり方ももっと真摯に見直すべきだろう。
11月の共同行動デーに向け、わかりやすいリーフレットを作成する。
今後もJIM-NETは劣化ウラン禁止に関し声をあげていく。
集会でイラク戦争の犠牲者を説明する佐藤事務局長
by kuroyonmaki
| 2011-08-18 08:05





























