人気ブログランキング |

中東を拠点に国際協力の分野で活動する佐藤真紀のオフィシャル・ブログ コメントはkuroyonmaki@yahoo.co.jpまで


by kuroyonmaki
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30

カタールが強い

カタール空港はよく使っていた。
バルセロナと提携していて、メッシやネイマールがシートベルトを締めましょうとかたばこを吸うなとかいう説明ビデオに出て面白かった。でも最近はRAKUTENがスポンサーになったので、エミレーツに切り替えた。

 今回カタールのサッカーがこんなに強いとは思わなかった。
バグダッドでは、ちょっと依然とは変わってモールがいくつかできている。
パブリックビューイングも。コカ・コーラがスポンサーになっていて、赤いTシャツを配っていたので、対戦国のイエメンの赤と紛らわしかったが。
 バグダッドの治安はよくなっている。
街中にあったコンクリートの壁が撤去され、チェックポイントも少なくなっている。人々は日常生活を楽しもうとしている。
音楽バレエ学校に久しぶりにいく。
学校の後ろには高層ビルが建っていた。
そこで働くムハンマッド。
小学生にソルファージを教えている。オーケストラでホルンを吹き、自らもバンドを率いてカーヌーンを演奏する。
結婚して一児の父となっていたムハンマッドは、イラク戦争の時は8歳だった。
谷川俊太郎さんの詩集のための絵を描いてくれた。「お兄ちゃん、死んじゃった。イラク戦争と子どもたち」
 当時は父が用務員をやっていたので学校に住み込みだった。
今は、ムハンマッドは独立して貧困街に住んでいる。周辺はアサーイブという民兵組織が牛耳っていて少し厄介なようだ。
 イラクのサッカーは、初戦ベトナムに苦戦した。
オウンゴールで失点、イラクのカウンターをカットしたベトナムだったが、背後から素早く回り込んだMIMI(ムハンナッド・アリ)に気が付かなかったのか瞬時にボールを奪われ、ムハンダッドがもう一人でフェンダーを振り切ってシュート。しかしベトナムも粘り2-1でさらに一点リード、イラクが同点に追いついたのもMIMIがクロスに頭で合わせる。キーパーがはじき、しつこくMIMIがボールをキープしシュートに行こうとするもベトナムもねばる。ディフェンダー、キーパがもつれたところで、MIMが滑りながらもシュートを放つがキーパーがはじき、さらにこぼれたところにホマームが走りこんでののシュートで振り出しに。このまま引き分けると思われたが、ロスタイムにフリーキック。アリアドナンが右上ぎりぎりに決めて劇的な勝利だった。
今回のアジアカップは、出場国を増やしたために大戦前からほぼ各チームの1-2位が予測出来て、番狂わせはA組のシリアが最下位になったくらい。ベトナムが3位で決勝トーナメントに上がってきてなんとヨルダンに勝った。準々決勝でも日本をてこずらせた。
イラクはというと決勝トーナメントでカタールに1-0で敗れた。今回カタールが強い。イラク戦は、MIMIとのコンビネーションでいい動きをしていたホマームが、怪我で早々に交代。結局残りの2名も怪我で交代した。その中でもよく守っていたが、カタールのRamiの芸術的なフリーキックで1点を取られ、逃げ切られてしまった。
Ramiは、実はイラク人だ。父親が ヒシャーム・アリという1990年代にイラク代表で活躍した選手だそうだ。イラク戦争後に家族で移住し、カタールの国籍を得たらしい。
 イラク人は、彼のゴールを「オウン・ゴール」と揶揄した。
ネットでは、彼の喜び方を批判する書き込みが殺到する。
ラミは、「僕はカタールのパスポートを持ってプレイできることに誇りをもっているし、僕はイラクで生まれイラク人の家族とともにここに来た。イラク起源を誇りに思う」
ラミはイエロー累積2枚で次回は出れないが、UAEに勝つと決勝で戻てくる。再びラミのフリーキックを日本との決勝で見れるか楽しみだ。

# by kuroyonmaki | 2019-01-27 16:51

難民

「難民受け入れ」に第三の道

9月19日・20日にニューヨークで開催される予定の難民・移民関連のハイレベル会議を前に、9月17日(土)には世界各地で「難民受け入れを訴えるデモ」が開催される予定です。「難民受け入れを訴える」とは具体的にどういうことなのでしょう?

前回のブログでは「移民」と「難民」の定義の違いについて解説しました。今回は「難民の受け入れ方」について、伝統的な二つの方法と、最近特に欧米諸国での導入が増えている「第三の道」について紹介したいと思います。


難民の受け入れ方法、その1「待ち受け方法」

難民の代表的な受け入れ方法の一つが「待ち受け方法」です。母国で「迫害のおそれ」がある人が何とか自力で母国を脱出し、別の国(例えば日本)に辿り着いた後、その国の政府に対して「難民認定して下さい」と申請するルートです。国際法上は自国を出た瞬間に「難民」ですが、便宜上、政府や国際機関に難民認定される前の人のことを「庇護申請者」、正式に難民認定された後の人のことを「難民」と呼んでいます。

前回のブログにも書いた通り、この難民認定は通常「1951年の難民の地位に関する条約」に書いてある定義に従って行われます。世界中のどの国(当然日本)も、自力で辿り着いた「難民」を迫害のおそれがある国に追い返してはいけない、という国際法上の義務があります。

テレビや新聞報道などでよく見る地中海等の「ボートピープル」は、基本的にこのルートで自力で母国を脱出して他国で庇護申請しようとしている人たち、と理解してほぼ間違いないでしょう。本来はあのような危ない航海をしないで他国に入国できれば良いのですが、難民がやってきそうな国出身の人達に対してほとんどの国がビザの事前取得を義務付けているので、密航しないと庇護申請できないというジレンマがあります。

先日、リオ五輪マラソンで銀メダルをとったエチオピアのオロモ族出身の選手が、エチオピアに帰らずブラジルで庇護申請したというニュースがありました。特定の民族に対する迫害と、そのことを世界的に訴えたという政治的な意見に基づく迫害のおそれが主訴であると言えます。五輪参加のあたかも「ついで」かのように庇護申請したのは、そういう時でないとなかなかビザを取得できないからです。

ちなみに「亡命」という言葉を日本語の報道でよく見かけますが、国際的には最近はほとんど使われなくなっています。「亡命」という言葉は、母国における迫害のおそれ以外の事情で他の国に移住する特異なケースで使う方が、今日的な国際的用語使いとより平仄がとれるでしょう。

世界的に見ると、このルートで難民認定されるのを待っている「庇護申請者」の数は2015年末時点で320万人。そのうち200万人が2015年に新たに庇護申請し、うち44万人はドイツにおける新規庇護申請者の数です。

日本における庇護申請者の数は、2014年は5000人、昨年2015年は7586人。そのうち日本政府によって正式に「難民認定」された人の数は、2014年が11人、2015年が27人。ここでよく議論されるのが、ある年に難民認定された人の数をその年の庇護申請者の数で割った「難民認定率」で、日本の場合その比率が低すぎるという指摘があります。

ただ、そもそも難民認定に1年以上かかるケースも珍しくないので、単純な割り算では分母と分子の対象者にズレが生じてしまい正確ではありません。

もっと言うとこの難民認定率、実は0%でも100%でも少なくとも理論上は問題ありません。なぜならこの「待ち受け方法」では、どんな庇護申請者がどの国からいつ何人くるのか、そのうち何人くらいが本当に母国において「迫害のおそれ」がある人なのか、待ち受ける国(例えば日本政府)はコントロールできないからです。

なので、「庇護申請者の数」や「難民認定率」を単純に他国と比較しても、「でも来ている人が違いますから・・・」と言われればそこで議論が終わってしまいます。

本格的に「おかしいでしょ」と指摘するのであれば、例えば母国において姉妹で同じような女子教育推進活動をしていてそれが理由で暴行を受けそうになり、警察に保護を求めても全く助けてくれないから外国に逃れて庇護申請したのに、姉がA国で難民認定されて、妹がB国で難民認定されないようなことがあった時、初めて「それは変じゃないですか?」と指摘できるわけです。

難民の受け入れ方法、その2「迎えに行って連れて来る方法」

二つ目は、既に他国で難民状態になっている人をわざわざ迎えに行って自国に連れて来る方法で、公式には「難民の第三国定住」と呼ばれています。母国が第1国で、既に庇護を求めて(または一時的に与えられて)いる国が第2国で、その難民を連れて来ようとしている国が第3国にあたります。

この方法が上の「待ち受け方法」と大きく違う点は主に二つあります。一つ目の違いは、第3国の政府がどこの国にいるどの難民を何人いつ受け入れるか、ほぼ完全に計画・管理できるところです。例えば、日本政府も綿密な予算措置と計画の下、2010年にこの方法でタイやマレーシアにいるミャンマー難民の受け入れを始め、過去6年間で105人のミャンマー難民を日本に連れてきました。

もう一つ目の違いは、第一の「待ち受け方法」の場合、いったん自国に辿り着いた難民は追い返していけないという法的義務がありますが、この第二の「連れて来るルート」で難民を受け入れる法的な義務はどの国にもない、ということです。

現時点で日本を含め33カ国がこの「連れて来るルート」で難民の受け入れを行っています。毎年の世界全体の受入数は10万人前後で、その7・8割はアメリカに「第三国定住」しています。このルートでの受け入れが必要な難民は、UNHCRによれば世界で100万人強いると言われ、実際の受け入れ規模がニーズに全く追いついていないので、第一のルートで危険な航海を試みる難民が絶えないという指摘があります。

そこで、9月20日にニューヨークで開催される「オバマ・サミット」では、この「連れて来るルート」での保護が必要とされている難民について、どの第2国から何人を受け入れるのか、各国政府が表明する場として注目されています。ちなみに、会議のホスト国であるアメリカはつい先日、過去1年間で既に1万人のシリア難民の「連れて来るルート」での受け入れを達成したそうです。

難民の受け入れ方法、その3「民間スポンサーになる方法」

一般的には、上で書いた「待ち受けルート」と「連れて来るルート」が今までの難民の主流な受け入れ方で、両方とも政府主導で様々な決定や支援策が実施されています。その一方、特にここ数年注目され始めより広く導入され始めているのが、「民間スポンサー(Private Sponsorship Scheme)」方式です。

一言で「民間スポンサー」といっても色々な形態があり、就職先や慈善団体がスポンサーになる場合や、親戚や友人・知人など何らかの「リンク」がある人が受け入れ先・連絡先・身元保証人になる場合など様々です。今までも「核家族(両親と、未婚で未成年の子)」については、第二の「連れて来るルート」で来た難民の家族として受け入れを許可していた国は多いのですが、それとは違って、遠い親戚や必ずしも血縁関係が無い人もスポンサーになれるのが、最近の新たな特徴と言えます。

この制度で受け入れられる難民に対する生活支援も、国・地方自治体・民間スポンサーの間で誰がどこまで負担するのか、千差万別です。国は法的な滞在許可だけを与え、生活支援の殆ど全てを民間スポンサーが面倒を見る方式から、民間スポンサーは「保証人」になればよく、生活支援の大半は実質的には公的援助によって賄われているものまで、かなりの濃淡があります。

規模については、例えばカナダでは、この民間スポンサー制度は既に1976年から始まっていて、今までに約25万人の難民がこの方式でカナダに移住しています。更に言うと、カナダでは政府と民間の「ハイブリッド受け入れ方式」も2014年から導入されました。

ドイツではシリア難民を対象に、16州のうち(バイエルンを除く)15の州において民間スポンサー制度が新たに設けられ、基本的に家族や親戚がスポンサーになれることになっています。各自治体主導ということで最新のデータ入手が難しいですが、2013年から数えて少なくとも1万人以上のシリア難民がこの民間スポンサー制度でドイツに受け入れられたと考えられます。

更に今年7月には、イギリスもこの民間スポンサー制度での難民受け入れを始めることを決定しました。

伝統的に難民保護は政府のお仕事と思われていましたが、政府や公的機関に訴えるばかりでなく、民間スポンサー制度は「草の根の人道主義」を地で行くものと言えるでしょう。「公的支援の民営化」については批判が無い訳ではありませんが、欧米の潮流では「民間スポンサー」は増加傾向にあるようです。

「日本も難民の受け入れをもっと増やさなくてはいけない」という意見を目にします。第一の方法で「難民の受け入れ」を増やすには、どういう庇護申請者が何人やってくるのかは受け入れ国のコントロール外にあるので、日本政府の難民認定基準を抜本的に改訂する必要があるでしょう。一方で、第二の「連れて来る方法」か第三の民間スポンサーについて議論する際には、より能動的かつ民主的な検討ができるようになります。

特に民間スポンサー制度で最終的な決定打になるのは、政府の施策でないのはもちろんのこと、既に日本にいる難民は非常に少ないので家族や親戚関係でもなく、難民と特段「リンク」の無い日本国民がどれだけ自腹を切って難民を隣人あるいは同居人として迎え入れる覚悟があるのか、ということになるでしょう。



# by kuroyonmaki | 2018-06-06 14:55 | 難民
  • 佐藤 真紀さんの写真
    佐藤 真紀さんの写真
    佐藤 真紀さんの写真
    佐藤 真紀さんの写真
    コペンハーゲンの悪ガキ
    1月26日、難民申請をした者に1万クローネ(約17万円)を超える現金や所持品がある場合、徴収して難民の保護費用に充てるという法案が、デンマークで可決された。

     デンマークといえば、かつて私たちが支援していたイラン系クルド難民の家族が暮らしている。最初のグループは、イラク戦争の時にヨルダン国境に避難したクルド人。イスラムとは異なるカカイという少数派で1980年代にイランから迫害された。イラク戦争で、イラン寄りの政権ができるとさらに迫害を受けたのである。
    2006年に数百名をデンマークが引き受けた。その後、逃げてきた人たちは、国境から動くことができず、2014年、「イスラム国」に襲撃されてようやく、北イラクのクルド自治政府が受け入れた。しかし、クルド自治政府の財政難もあり、2015年に、波に乗ろうとヨーロッパに密航したのだ。ただし、アザッドは、3年前に単独でキャンプを抜け出して、親戚をたよってデンマークまでやってきた。現在は学生だが余暇を利用して市役所の難民相談係をしている。
    久しぶりに再会したら立派な大人になっていた。デンマークでの難民事情やらをいろいろ聞いてみようと思う。
    まずは近所に住んでいるシリア難民の家族。アレッポから逃げてきた。お父さんは行方不明になっています。2012のことでした。子どもたちのために買い物に出かけたきり戻ってきませんでした。彼女の住んでいるところは、自由シリア軍が支配していました。激しい攻撃が加えられることが多々あり、避難を決めたそうです。母親はパスポートを持っていたため子どもたちを妹にあずけ、母親だけが本当に無事に行けるのか様子を見に先に行くことに決めました。トルコからお決まりのコースですが、イズミールからゴムボートに14人くらいすし詰め状態で1時間。バルマコス島というギリシャ軍の基地に到着しました。そのあとは、アテネから飛行機でイタリヤ経由でデンマークに到着しました。病院のような収容施設に5か月間いましたが、今はデンマーク政府から支援金をもらって家を借りて暮らしています。5カ月間に、息子たち二人を妹夫婦が、やはりお決まりのコースでデンマークまで連れてきてくれました。
    2人の男の子は、とてもやんちゃで閑静な住宅街を自転車ではしりまわり大声で遊んでいます。デンマークにはない元気さ。
    長男のイブラヒム君7歳は、将来はサッカー選手になりたいとのこと。弟のアダム5歳は、ボクサーになりたいといってお兄さんや近所のシリア難民の子どもを殴りまくっていました。
    お母さんは、「もうシリアに戻りたいとは思わないわ。デンマークで仕事を見つけここで暮らしていきます。」子どもたちに、デンマークとシリアどっちがいいか?と聞くとイブラヒム君は、デンマーク!と答えました。どうせなら、サッカー選手になって、難民たちに夢を与えてほしいと思います。

# by kuroyonmaki | 2016-06-29 22:50 | 難民
March 5, 2007

Building Hope in Basrah
By Tracy Meadowcroft
For The Record
Vol. 19 No. 5 P. 20

Despite the toughest conditions, construction of a children’s hospital steadily marches along.

Weighing the pros and cons of establishing electronic medical records (EMRs) can prove daunting at any healthcare facility—from the smallest clinic to the largest multispecialty hospital. Numerous questions are often raised about the process of establishing EMRs, including what the final cost may be, how to make the transition from paper to electronic records as easy as possible for all those affected by the change, and what, if any, disruptions the process will bring to the facility.

There can also be quandaries about whether to outsource coding or transcription, whether to allow these employees to work from home, or how to recruit and retain qualified candidates for these positions.

Now, imagine answering these questions during the establishment of a children’s hospital in Iraq, a country that has seen its share of violence and turmoil in the last several years alone. Along with addressing the basic needs to establish the hospital come concerns about maintaining safety for patients, their families, and the employees themselves.

Healthcare in a Violent State
In the middle of one of the most violent areas of Basrah, a city of, at one time, more than 2 million people that is located approximately 330 miles from the Iraqi capital of Baghdad, construction is underway at the Basrah Children’s Hospital (BCH). While concerns about violent outbreaks remain high because of the current state of affairs in the city, the desire to provide improved and necessary healthcare, especially for children, ranks higher.

BCH will serve as a referral hospital and is intended to be a “world class clinical and training facility for pediatric specialty care—with a focus on oncology—serving the people of Basrah and the southern provinces [of Iraq] and addressing critical pediatric healthcare needs,” says U.S. Navy Lt Allen E. Willey, resident engineer for the Basrah Children’s Hospital Project Office (BCHPO), Southern District, Gulf Region Division.

These “critical pediatric healthcare needs,” according to Willey, include addressing the high incidences of pediatric disease and cancer, and that more than 100 of every 1,000 Iraqi children will likely die before celebrating their fifth birthday. Additional statistics, provided by Willey, offering the need for such a facility include the following:

• Twenty-five percent of Iraq’s 18,000 physicians have fled the country since 2003.

• Cancer rates in Iraq are eight to 10 times higher than in Western countries.

• Cancer rates in southern Iraq, where Basrah is located, are more than four times higher than the national average.

• Leukemia cases in Basrah have increased by 70% since 1989.

According to Willey, Project HOPE, an international nonprofit health, education, and humanitarian assistance organization, originally pointed out the need for a facility such as BCH. The awareness of the need came during an investigation in 2003 concerning the state of healthcare in Iraq.

“The World Health Organization statistics indicate that 53% of Iraqis are adolescents, so we estimate that the hospital will support more than half of the population of Basrah alone,” said Frederick Gerber, country director, Iraq, for Project HOPE, in a press release about the hospital project.

The U.S. Army Corps of Engineers, through the BCHPO, assumed responsibility for managing the construction of BCH in summer 2006 following the departure of a U.S. construction contractor. Approximately 30% of the hospital’s construction was completed at that time.

“The prime contractor [for the project] is MID-Contracting International based in Amman, Jordan, of which six area managers are on site with approximately 24 additional Iraqi overhead staff members assisting in the project management effort to construct the children’s hospital,” explains Willey. “All of the labor effort is subcontracted out to Iraqi contractors. In all, the daily average employment on site is 475 construction workers and a large security personnel force.”

The Facility
Among the amenities planned for the two-story, 94-bed, 160,000-square-foot acute care pediatric specialty facility are an eight-bed pediatric intensive care unit (ICU), a seven-bassinet neonatal ICU, one special procedure room, two operating rooms, and four general nursing wards, according to Willey.

The hospital, which is located on a 13-acre site, will also feature an oncology center with diagnostic and treatment planning, chemotherapy, and radiotherapy; an imaging department with radiography, fluoroscopy, computed tomography, MRI, and ultrasound; an emergency department with a full trauma room; an on-site residence building for 32 nurses and physicians; an outpatient endoscopy suite; a dental suite; and other specialty clinics.

The Iraqi medical system remains strongly rooted in paper-based operations, though members of Project HOPE are making efforts to, over time, modernize the medical system, explains Douglas A. Pitkin, deputy director and chief financial officer for the Iraq (Recovery) Reconstruction Management Office.

Pitkin says there are no immediate plans to outsource coding or transcription operations at the hospital, establish EMRs, or use telemedicine, as the physical construction of the hospital, which is slated to open in early 2009, currently stands at the forefront.

Pitkin says organizers are looking at the hospital as an employment opportunity, especially for those from the Basrah region. He acknowledges that this could prove a challenge since many health professionals have fled the area because of the ongoing violence, but “Project HOPE has made a strong commitment to recruiting for the facility.”

The projected cost of constructing the hospital is approximately $147 million, according to Pitkin. That includes $95 million from the U.S. government to cover most of the construction costs. The Spanish government has offered $22 million through the United Nations Development Program, though approval from the program for the use of these funds is still pending. Pitkin says approval should come in the near future.

Also, Project HOPE plans to donate $30 million through fund-raising efforts as well as in-kind services, such as helping to train those who will be working at BCH. The Iraqi Ministry of Health will also donate certain basic needs, such as bedding, as the project nears completion, according to Pitkin.

A Sense of Security
“Basrah is a very violent place.… With this in mind, one of our biggest concerns is safety. We have a huge challenge at the BCH but not an insurmountable one,” says U.S. Army Lt Col Kenneth W. McDonald, deputy commander and Oil Area engineer with the Southern District, Gulf Region Division, U.S. Army Corps of Engineers. “The location of the BCH is right in the middle of one of the most violent spots in Basrah. The BCH sits between a predominately Shia neighborhood and Sunni neighborhood and, therefore, can be a huge target of opportunity for both groups.

“One of our methods for securing the site is to get the communities to back the construction,” McDonald continues. “As with most cultures, children are the most important aspects of the community. The fact that this project is a children’s hospital rings home with the people of Basrah.”

One effort to draw in members of the community came in the form of an event to celebrate the “rebeginning” of the hospital’s physical construction, which was organized by the project’s Jordanian contractor, according to McDonald. The event, which was attended by community leaders, Muslim and Christian religious leaders, the Ministry of Health’s director general, the governor of Basrah, several members of the Iraqi media, and nearly 100 school children, proved successful, McDonald says.

“Another approach we have taken is to hire a Basrah security firm to provide protection of the project site. The security company has hired its workforce from the local neighborhoods,” adds McDonald. “This might seem counterintuitive, but it actually has made the project site secure from any attacks. Getting in and out of BCH is somewhat ‘testy’ at times for our engineers, but we use a very good security company that provides excellent support. We use several techniques that have proven very effective.”

Improving the Quality of Life
Although there are many challenges to face in the construction of BCH, many of those involved remain positive about what the end result may accomplish.

Willey says the hospital will deliver the necessary specialty medical care to Iraqi children as well as be a model training hospital for Iraqi nurses and doctors, over time helping to improve the quality of life for the Iraqis.

“The hospital will be a pivotal milestone in improving the life expectancy of young children in Basrah and will be a model for future hospitals throughout the country of Iraq,” he adds. “This hospital is the foundation for building a robust health program for Iraq.”

— Tracy Meadowcroft is an editorial assistant at For The Record.
# by kuroyonmaki | 2016-06-22 10:09

  • 昨年の7月に訪問したシリア難民の家族。チャリティ財団の支援で、アパートをただで貸してもらっていた。今アンマンに住んでいる。
    一年前は、まだ歩けなかったシャッドと片足を切断したドゥアが大はしゃぎ。2枚目の写真は一年前のシャッド。
    以下は、一年前の記事を張り付けています。元気な姿を見れてうれしかった。

     ドアは現在3さいと4か月。今から20か月間の話、ということは、2013年の7月ごろの出来事。ロケット弾が家の中に打ち込まれ、4歳のシャッドの足が、折れてしまった。父親はあわてて近くの野戦病院に娘を連れて行くと、気が付くと、友人が一歳半のドアを同じ病院に連れてきてくれたのだ。ドアは、左足が吹っ飛んでいた。
    「その時の動画があるんだ」お父さんは、一生懸命ユーチューブにアクセスしていた。そして、動画を見つけると、娘たちの前で見せてくれる。麻酔もなく、足が吹き飛ばされた傷口があらわになり、もがき苦しむドアの映像が出てきた。ドアはまだ小さいのか、隣で平気でその画像を見ている。
    「お父さん、気持ちはよくわかるけど、子ども達の前ではよくないよ」
    とさとしてやめさせた。

    6歳のシャヘッドの方も、つい先日骨の移植手術を行ったということで、ギブスが痛々しい。お父さんは救急車で娘二人をヨルダンに連れてくると、今度はヨルダン警察に捕まって牢屋に入れられてしまった。この時はさすがにすぐに出してもらえたが、シリアにいたときは、シリア警察に捕まり、拷問を受け、腕をへし折られたという。名前がテロリストのそれに似てるとの理由だった。
    戦争で、ぼろぼろにされた人生だが、ドアやシャヘッドは、一生懸命歩き出そうとしている。


    佐藤 真紀さんの写真
    佐藤 真紀さんの写真


# by kuroyonmaki | 2016-06-07 22:54 | 難民