中東を拠点に国際協力の分野で活動する佐藤真紀のオフィシャル・ブログ コメントはkuroyonmaki@yahoo.co.jpまで


by kuroyonmaki
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絆ぐるぐる難民支援
 石巻から届けられた洋服をシリア難民に届けるとともに、出会った難民が必要としているものがあれば、できるだけ対応したい。特に、イラクとヨルダンは、福島や石巻の支援に協力していただいた。その2つの国が今、シリア難民を抱え深刻な状況にないつつあるのだ。

北イラクのアルビルは、バグダッドやバスラの治安の悪化とは関係なく、そのせいで、投資がすすみ経済が発展してきた。バグダッドを離れて、家を買うアラブ人も増えている。10年前とは信じられない発展の仕方だ。
シリア難民たちも、ドホークの難民キャンプにいるよりは、アルビルで仕事を探す人が増えている。私は、先日榎本職員とモールのカフェでお茶を飲みながら、仕事の打ち合わせをしていた。
コーヒー一杯は5000IDで400円位するので、日本以上に高い。特に円安は、ドルで稼いでいるわけではない我々にはひびくが、ここでビジネスをしている裕福なクルド人や外国人たちにとっては、なんともなく、700ドルはするI-phne を持っている地元の人たちもたくさんいる。
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タクシーでホテルに帰る途中、道端に座っているシリア難民らしき人たちが見えた。ちょっと気になったので、夕方もう一度来てみた。
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そこには、8家族が廃墟やテントでくらしており、全員がアレッポから逃げてきたという。長い人で一か月前だという。
戦闘に巻き込まれて、手足に被弾した男たちもいた。10日前に、アルビルにきたという家族はほとんど何も家財道具がなく、通りがかりの親切なクルド人が、肉を差し入れてくれたが、冷蔵庫もコンロもないからどうしたものかと嘆いている。
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生後3か月の赤ちゃんは、アレッポの産婆さんが取り上げてくれた。その後父親は銃撃戦に巻き込まれて命を失った。しかし、銃撃は激しく死体を確認することは出来ずに、アルビルまで逃げてきたのだという。
他にも、何人かおむつのとれない子どもがいたので、向かい側のモールで粉ミルクとおむつを購入して持って行ってあげた。
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本当に着の身着のまま逃げてきた人たちで、食料もなく、ちょっとした支援が必要。この日は、幼い子供がいる4家族におむつと粉ミルクを配ったが、食糧も不足しているとのことなので、翌日もう一度行くことになった。
 
さとうまき
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by kuroyonmaki | 2013-05-24 01:59 | 難民
アンマンの郊外。マナーラ地区。JIM-NETは、シリアの内戦が続く中、シリア難民の妊産婦に焦点を当てて、少しでも生まれてくる命を守りたいという気持ちから支援を続けている。
 ヒシャームさんは、2011年6月24日金曜日、ダマスカスの郊外でお祈り中に、政府軍の発砲にあい、ダムダム弾で撃たれたという。シリアでは、治療をきちんと受けることは難しかった。野戦病院(つまりは民家を使っての治療)で手当てを受けるも、傷は悪化。2011年12月1日にヨルダンに出てきて、国際赤十字の取り計らいで、治療をうけるが、2012年3月15日に右足を切断した。
妻が妊娠しているというので、国井看護師をつれて訪問する。
彼の家は、丘の中腹に建てられたアパートで、道路に面した入口から階段を下がっていく。松葉づえを付いたヒシャームさんが出迎えてくれた。一年以上も一本足で歩いているのかすっかり慣れている様子。
扉を開けると、反体制派のシンボルの旗が飾ってある。家具はほとんどなにもないが、鳥籠が二つ。小鳥を何羽か飼っていて、時々さえずりが聞こえる。
 家賃は200ドル弱。国連に登録していても誰もお金を持ってきてくれないという。
片足では、仕事にも就けない。
しかし、人生は絶望だけではない。足を切断して絶望の真っただ中にいるときにシリアにいる姉とスカイプで話していて、姉の家に遊びに来ていたサファとであった。
5カ月前、結婚するためにサファがアンマンに来た。まだ、18歳だという。
僕たちは、このめでたい話にすっかり盛り上がった。9月1日が予定日。エコーだと女の子だという。
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 別の部屋には、彼の友人の男性が2名いた。
話を聞くと、自由シリア軍の兵士だという。一人は一か月半前に戦闘中に撃たれた。体中が焼けただれているといい、ぐったりとしていた。「白リン弾でやられたんだ」という。その2日後にヨルダン国境に向かい、ラムサからアンマンのバシール病院へ入院し、手当を受けて7日前に退院した。しかし、未だに体中が痛むという。そして、彼が、「ここに弾が入っているんだ」と指差してくれた背中には固い塊を感じた。
明日、手術で弾を取り出すそうだ。
 怪我が治ったらどうするのか?と聞いたら、「戦いに戻る」もっとひどい目にあうかもしれないのに?「神のために」という。
NGOの中では、ヨルダンに運び込まれてくるけが人の治療やリハビリが最優先だという議論もあるようだ。しかし、かれらの多くは、自由シリア軍の兵士たちだ。ジュネーブ協定では、けが人はもはや非戦闘員であるとみなしているが、「治療しても、兵士として戻っていき、また怪我をして帰ってくる。そしてまた治療。それが中立的な支援といえるのか」という意見も聞かれる。

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さとうまき
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by kuroyonmaki | 2013-05-13 18:21