中東を拠点に国際協力の分野で活動する佐藤真紀のオフィシャル・ブログ コメントはkuroyonmaki@yahoo.co.jpまで


by kuroyonmaki
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シリア難民15家族に食料援助  
5月23日

イラクからヨルダンに戻った私は、早速アンマンのジャバル・ナーセルで暮らすハッジ・ルフティに電話をした。その夜、ハッジの家で打ち合わせ。公務員をしているワーディアさんも来てくれ、一体どういう支援がいいのか話し合った。IMG_0079

「私たちの支援者は、さらに増えているんです。」一ヶ月の間に25人から33人に増えたという。しかし、彼らのファイルとは別に、口コミで支援を求めてくる人もおり、実際にはもっと多くの人びとをカバーしている。
早速、ハッジは、難民の家族に電話をする。
「彼らは、お金が欲しいといっている。」
「しかし、お金を渡すとタバコ代に代わってしまうだけだ」
「しかし、子どもが11人もいるバーセルさんところはお金を渡したほうがいいだろう」
「いや、ムハンマッドさんところは、病人がいる!」
結局15家族に食料の詰め合わせをおくることになり、特に生活が厳しい家族3家族には、10JD日本円で1100円づつ渡すことになった。ハッジがリストを作成してくれた。

 翌日、近くのパレスチナ難民キャンプのスーパーマーケットの買出しに、シリア難民のムハンマッドさん(仮名)が加わった。
ムハンマッドさんは落ち着かない。パレスチナ難民キャンプは、ほかに比べれば若干物価が安い。しかし、すさんでいる。治安が悪いというのだ。ムハンマッドさんは、「先日、歩いていたら若者に囲まれた。殴られた。注射されて意識を失った」という。かつあげされたのだ。
ハッジもうなずく。「この国には、シリア難民だけじゃない。イラク難民、そして1948年からいるパレスチナ難民。みんな貧しいんだ」アンマンはここ十年間で開発が進んでいるが、パレスチナ難民の居住地区は、取り残されているという感じがする。
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 早速、車でビニール袋に詰めた米や缶詰をとどける。
父親が不機嫌そうに何も言わずに支援物資を受け取る家族。
親切にお茶お入れてくれる家族。怒りをぶちまける家族と様ざまだ。
ムハンマッドさんは、父親を政府軍の攻撃で失った。
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>「体がばらばらに吹き飛ばされた遺体が戻ってきた。」と怒りをあらわにした。TVからは、革命をたたえる映像と歌が絶えず流れている。ヨルダンに来て一ヶ月以上たった。一緒に逃げてきた姪は、ヨルダンの学校に通っているという。「シリアとヨルダンのどちらがいい?」と聞くと12歳の少女ははにかみながらも「シリア」ときっぱりと答えた。
多くの子ども達は学校に通っていない。
私たちが持っていった文房具を喜んでくれた。
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 15軒を丁寧に、配って歩く。シリア難民は、物置のようなアパートの一番やすい部屋を借りている。あちこちに分散しているので、全部まわり終えると、私も、ハッジも疲れきってしまった。ハッジは、私に感謝し、「また来て欲しい」と息を切らせながら訴えた。
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今回の支援内容は以下のとおりです。支援

【感想】
日本円で約27000円の支援になりました。
また、かつてワークショップ用に作ったTシャツの残りがJIM-NETの事務所にあったので15枚配りました。
子ども用のTシャツは、2年前のサッカーワールドカップ時のものです。小さくてもできることをする。そして、難民を受け入れているヨルダンの人たちが頑張っている姿は、一年前の私たちを思い出します。イラク難民のときは、アメリカが当事者となった大きな戦争だったこともあり、NGOなどが中心に動いていましたが、今回はフェイスブックや、ツイッターなどで情報が携帯電話を介して伝わり、シリアでおきていることの深刻さも加わり、より草の根のネットワークが構築されていると感じました。また、フードパッケージの作り方などは、手際よくその場で、決めていましたが、もともとイスラーム社会では、ラマダン中の喜捨などで貧しい家庭に食料をくばったりする習慣があるので、もともとコミュニティでの助け合いは強いのでしょう。

 石巻の避難所のリーダーが、「皆さんに支援していただいて本当に嬉しい。毛布とかいずれいらなくなるから、そういうのを必要としているアフリカなどに届けられないでしょうか?」という話をされていたのを思い出しました。送料の問題とかあるのでしょうが、確かに援助のリサイクルというのを効率よくやれないかなとふと思いました。
次回は、6月末の支援を考えています。皆さんのご協力をお願いします。

さとうまき

郵便振替口座 00540-2-94945  口座名:日本イラク医療ネット 「難民支援」とお書きください .
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by kuroyonmaki | 2012-05-31 11:04 | 難民
先ず、5月18日、朝の7時に、アルワリードから入院していたハリッドさんと付き添いのアザッドをひろいバグダッドを出発しました。
シリア国境が目前に迫ったアルワリードキャンプに到着したのは10時ごろです。まずハリッドさんを家族に無事に送り届けました。妻をはじめ家族はとても喜んでいました。
病院の診断では、脳血栓ではなく、精神的なストレスからくる歩行困難とのこと。JIM-NETは、彼の数か月分の薬を約2万円支援しました。
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バグダッドで入院中のハリッドさんと
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キャンプで家族と再会したところ。

 現在、難民の数ですが、バグダッドから避難しているパレスチナ難民が約90人ほど。イラン系クルド難民が160人、アフワーズ(イランのアラブ人難民)が10人くらいで300人もいません。キャンプに入る前には、警官が「どうしてキャンプに来たのか」といったいくつかのセキュリティ上の質問を受けました。私は、かつてUNとイスラミックリリーフが使っていたコンテナに行ってみましたが、誰もおらず、近くのテントには、女性がいすに坐って、なにやら助けを求めていましたが、障害があり旨くしゃべれないようでした。夫が出てきて、「食べ物も、水もないのです。シャワーも浴びる事ができません。」
彼らは、実際とっても汚かったのです。テントの中を見せてもらいましたが、ひどい状況で、暑くてとても汚いのです。
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水道が使えるのは2日に一回。しかも一時間だけとのこと。
 別の人にも聞いてみました。アフワーズ(イラン南部のアラブ人)の人で、彼は、生活はもともかく、警察の態度を心配していました。「5人のキャンプにいたソマリア、リビヤ、スーダン人らが、突然警察に連れて行かれ、10日になりますが戻ってきません。私たちもバグダッドに連れて行かれるのではないかと恐れています」
 水に関しては2日に一時間だけ国境のタンクにつながっているパイプから流してもらっているようです。電気は全く来ていませんでした。彼らは、氷の塊を買ってきて、飲み水につかっているようで、これはとても危険だと思いました。キャンプにはお店がひとつありとても高くキャンプの人たちがものを買ったりするのは大変ですし、警察の許可がないとキャンプの外にはでられないのです。以前は、彼らは、国境の入国管理局で掃除などの仕事についていましたが、今ではそれもカットされてしまいました。国境で野菜を運んでいるトラックなどを捕まえて、分けてもらったりして食いつないでいるとのことです。

かつて私たちが支援したクリニックは、閉鎖され誰もいません。緊急時の注射をする医者も看護師もいないのです。私たちが支援した機材はそのまま中にあるようです。
A・サイード@アルワリード
皆様からのご支援を受け付けています。
郵便振替口座 00540-2-94945  口座名:日本イラク医療ネット 「難民支援」とお書きください .
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by kuroyonmaki | 2012-05-19 20:36
タクシーの運転手も人道支援のリーダーだった。

タクシーの運転手が話しかけてきた。
「私の家の周りにも、シリア難民が何人かいて、何も持たない、食べるものにも困っている。かわいそうなので支援しているんです。見てほしい。そして少しでも慈悲を」と訴えられた。ルッツフィーさんは、60歳くらいで見るからにハッジといういでたちだ。町内会で、古着とかを集めては、シリア人たちが住んでいるアパートにもって行く。25人くらいが支援対象になっている。

15日前にやってきた家族は、「ビルの建築をやっていました。ホムスでデモに参加したら、警察に逮捕された。43日間、腕を縛られてつるされて殴られた。脱臼したところが癖になっている」別の男性は、シリア兵に銃剣で腹を刺されたという傷跡を見せてくれた。携帯に入っている動画を見せてくれる。「親戚だ。拷問を受け戻ってきた遺体を確認している」そばにいた子ども達も一緒に覗き込む。
「6部屋に10家族が住んでいます。ここは、家具も何もないんです。ガスがあるのはこの部屋だけ。」
「この人の夫は、怪我した人を手当てしていたら撃たれて死んだ」
別の部屋では、妊娠中に国境を越えて逃げてきた若い女性が流産してしまい、マットレスに横になっていた。多くの女性は、むしろ話すことで気を紛らわせようとしていた。一方男たちの目は、恐怖と不安で沈んでいる。

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(この家族は写真撮影におおじてくれたが一応顔は隠しておきます)
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顔を出したくない人は後ろ向いてくださいといったら子どもだけになってしまった。
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この人がタクシードライバー
人道支援団体とかの支援活動にはどうしても距離感があり、写真撮影などもしにくい雰囲気もあるが、町内会レベルでの支援に信頼関係ができているのだろう。写真撮影もスムーズにいった。草の根的な支援の輪に僕たちも加わりたいと思う。
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by kuroyonmaki | 2012-05-19 08:38 | 難民
アルマフラクには、10万人のシリア人がいるという。町の人口の30%がシリア人になってしまった。
先ほど取材させてもらった、原発の反対運動をやっているマフラックの青年同盟が、難民支援もやっていた。
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この事務所に登録している難民のファイルだという。
そして、住民に呼びかけて古着を集めている。
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しかし、見事に古着が集まり、果たして喜んでもらえるのかどうか。
マフラクの住民時は何かしたいという気持ちが強い。
担当のムハンマッドさんは、アンマンから医師を呼んで健康相談をしているという。しかし、9月と1月、4月の3回だけであり、難民のニーズを満足する事はできない。
「いま、食料を配ろうとしています。財源は限られているけど、支援が必要だ」という。
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シリア人が借りているアパートを訪問する。ホムスから逃げてきたおばさんは、「洗濯機が欲しい」と詰め寄った。
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家賃は大体100JD前後。難民の中にも格差がある。
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かつて、僕たちがアンマンで支援していたイラク難民も似たような状況だった。
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by kuroyonmaki | 2012-05-19 00:47
「シリア危機と難民」
 僕は旅に出ると難民のことを考える。故郷や家族から離れてさまよう旅人の寂しさは、難民の心を理解するのにはほどよいのかも知れぬ。
6月20日は世界難民の日だ。
イラク戦争では、400万人を超える人たちが家を失った。
日本でも、地震と津波、福島第一原発事故で、避難生活を送っている人は33万人。今まで支援する対場だったのが、支援される国になった。昨年の2月から悪化したシリア情勢、周辺諸国へ避難する人たちは、23万人(毎日新聞3月13日)にのぼる。私たちの活動拠点であるイラクにも難民が流れ出した。故郷を失った人々に私たちに今度は私たちに何ができるのだろう。
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ヨルダンのシリア難民は、10万人を越えている。しかし、難民登録を済ませたものは9500人で登録待ちが4000人。難民キャンプがあるわけではなく、アンマンやマフラクといった都市でホテルやアパートを借りて自力で生きていかねばならない。3万人は最低限の支援が必要だという。
国境の町、ラムサは、シリアの激戦地になっているダラーから5kmほどしか離れていない。闇で国境を越えてくるシリア人を受け入れているのが、シャバーブシャというビジネスマンが解放した5棟のアパートで、ヨルダンの当局が厳しく管理している。ほとんどのシリア人はパスポートも持たずに逃げてくる。ヨルダン人の身元保証があれば、ヨルダンでの滞在が許される。私が訪問すると、建物の外で、多くの人たちが談を取っており、何かを訴えたいのかわさわさと集まってくる。建物の中には着の身着のままで逃げてきた人たちがいた。15畳ほどの部屋に20人が雑魚寝している部屋や、トレーラハウスに寝ている人もいる。私が昨年、石巻に入ったときには、まるで、戦場のようだと感じたが、今度は逆に、避難所の体育館を思い出す。一日400人から700人が国境を越えてくる。
「昼間はシリア軍が見張っているので、動けません。夜、200人くらいが集まって、50人くらいの自由シリア軍がエスコートしてくれ、歩いて国境を越えました。」パルチザンのようだ。映画「サウンドオブミュージック」のナチスドイツからの逃亡シーンが思い浮かぶ。そして、福島の人たちが、周りからの非難されることを恐れ夜こっそりと家を出て行くという話とも重なった。
 奥のほうでは、汚れひとつない真っ黒なアバヤ来た清楚な女性が携帯電話で泣きながら話をしている。
「あの人は、昨日来たんです」汚れた服をまとっている難民の女の子が指差した。
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マフラックに作られた避難所だが使われていなかった。
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by kuroyonmaki | 2012-05-18 19:49 | 難民
さて、5月8日、バグダッドから、アブサイード、バスラからイブラヒムがアルビルにやってきた。
夜、無事に到着すると早速3人で翌日のプレゼンの準備。イブラヒムは、怖がりのくせに、人まで話すのは結構うまい。一方アブサイードのじいさんは、そういうのが余り得意じゃないから、早速練習。パワーポイントの資料を僕が作ってやった。アブサイードは一生懸命原稿を書いて、まるで演説するように読んでいた。やっぱりあの世代の人。あじるの好きみたい。

ナナカリー病院では昨年の秋に、念願のプレイルームが開設された。ペイマン医師は、JIM-NETが最初にナナカリー病院を訪問した2009年から、「プレイルームを作って欲しい」といい続けてきたが、ついに保健省から予算が付き念願がかなった。

JIM-NETが中心となり、ボランティアを集めて、運営に協力してきた。しかし、日本人スタッフがいないと、ボランティアを運営するキャパシティが病院にはなく、プレイルームには、たまに子どもがきておもちゃや絵本を借りていくだけになり、机やおもちゃはほこりだらけになっていた。
 掃除機そのものがほこりをかぶっているのだ。使わなければほこりをかぶるのは仕方がないが、看護師に聞くと「毎日子どもがいつ来てもいいように開けてあります」という。

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日本とは違って、ともかく砂埃がすごいのだ。中途半端なおもちゃは置かないほうがいいというのも一理ある。
ならばやはり、有効に使わなくてはならぬ。
そこで、プレイルームの運営に関してのワークショップを開催してみようということになった。バスラ子ども病院には、イブラヒムが頑張っている。

バグダッドの医師たちは、最初の頃は、「プレイルームなんかより、薬が足らないんです」といって全く関心を示さなかったが、会議の度にイブラヒムの活動の話を聞き、最近では、「プレイルームを作りたい」ということになり、昨年からアブサイードが運営を始めた。イブラヒムの話は、きっと何かヒントになるだろう。

 特に、看護師たちに問題点を話し合ってもらおうと、ペイマン先生に看護師を集めてもらった。


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バスラの院内学級の歴史からイブラヒムが語りだした。妻を白血病で亡くしたことから患者の扱いには長けていた。家族の悩みもよくわかる。みようみまねでやってきた活動を深めるために2008年にはシリアのNGOでトレーニングも受けた。

JIM-NETのバスラでの活動は、1)医療支援、2)精神的な支援3)教育支援、4)経済支援だが、2)と3)はプレイルームで行なわれる。
スタッフは、イブラヒムを含めて3人だ。教育省から派遣されているマナールという先生と、元患者のザイナブという3人のチームワークが実にいい。
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[左:ザイナブ  右:イブラヒム]
活動内容を一通り説明すると、一人の患者をどのように支援してきたかの例として、サブリーンのビデオを見せた。
ナナカリーのスタッフの中には涙を浮かべて見ていた人もいた。
続いて、アブサイードが昨年はじめた活動を紹介。「たくさんの子ども達が、とても楽しみにしているんです。」
続いて、感染症対策について問題提起がされた。
「アルコールジェルはどこにおけばいいのか」
このような議論が看護師のなかでされる事はあまりないという。医者が言うとおりに動くだけだ。
「バスラは入り口だけです。しかし、携帯用のジェルを子ども達が持っているんです」
「バグダッドでは、感染症対策を子どもたちにわかりやすくするビデオを作っているんです」
いくつか質問がでたあと、プレイルームを見ながらのディスカッションが始まった。
今日は、とてもきれいに掃除してあるので驚いた。アルコールジェルもこの間は、箱の中に大切にしまってあったが、机の上においってあって誰でも使えるようになっている。
誕生日会のような飾りつけがあって、子どもにとっては、嬉しくなるような効果があるのだが、感染症対策を考えると好ましくない。
「それでは、飾りつけはパーティのときだけにしましょう」
やはり箱だけではだめで、そこにいつもいるスタッフが必要だ。しかし、病院では、医者とか看護師、薬剤師という概念はあっても、ソーシャルワーカーのようなスタッフは位置づけられないのだろう。
ペイマン先生は、「保健省に相談してみます」と力強く語った。
イブラヒムも、アブサイードも一仕事終えた充実感が漂っていた。

サブリーンのビデオ

http://www.youtube.com/watch?v=JB-HrwwQu5Y
さとうまき
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by kuroyonmaki | 2012-05-15 06:12 | アルビル日記

BYE-BYE AYA

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アヤちゃんが最後に描いてくれた絵。
ありがとう。
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by kuroyonmaki | 2012-05-12 14:21
アヤちゃんのおとうさんは、闘病中のアヤちゃんの傍ら、近寄りがたい雰囲気があったが、今日始めて家に行くと、とても明るく迎えてくれた。ぼろぼろになったチョコのパッケージを大切に、彼女の写真と一緒にファイルしてあった。札幌の1000ピースという団体が作ってくれた彼女の絵を写したキルトも大切にとってある。
彼女とは絵を介して出会った。2009年のチョコ募金のテーマは、イラク観光。バグダッドの病院のターリク医師にお願いして、バグダッドのガンの子どもにも絵を描いてもらい送ってもらった。その中にアヤのスケッチブックがあて、これが圧倒的に面白い、ターリクに聞くとヨルダンで治療しているとのこと。今のように、まだバグダッドには僕も入れてなかったので、これはいいと会いに行った。ところが、アヤは、最初の診断が誤っていて、バグダッドでおなかを切ったところ既に手遅れでどうしようもなく、腫瘍を摘出することすらできず、そのまま、もとに戻した。バグダッドに望みを捨てた父親は、借金をしてヨルダンのキングフセインセンターに駆け込んだ。しかし、お金がそこをついてしまったので、イラクに戻るという。そこで、JIM-NETで治療費の一部を支援することになった。2010年の夏には、アルビルでサマーキャンプを開き、みんなでチョコのデザインを考えようという企画。アヤの体力は、サマーキャンプに耐えられるだろうか?バスラ、サマワ、からも、合計4人の絵がうまいガンの子ども達が集まった。アヤはどんどん絵がうまくなっていて、僕が出す課題にも、てきぱきと応えてくれた。相手が何を求めているのか一生懸命考えてくれるので、仕事はやりやすかった。
しかし、キャンプから2ヵ月後。亡くなった。死ぬ2日前の写真は、もう苦しみも乗り越えたかのように穏やかな顔をしていた。「私は一人で死ぬのはいや。みんな、一緒に来て欲しい」と泣いたそうだ。
最後に書いた絵があるんですといって見せてくれたスケッチブックには、サマーキャンプの最終日にみんなで行った滝の絵が描かれており、よほど楽しかったようだ。
「アヤは、本当に楽しかったみたいですよ。ずっと、ピクニックの話をしていました。」
そして、スケッチブックには、自転車に乗った子どもの絵が描いてあった。
最初、ワークショップでみんなで絵を描こうとしているときにアヤがあまり元気がなかったので、僕のipodに入っていた2歳の息子が三輪車に乗っている写真を見せて、アヤちゃんに描いてもらった。アラブの国では家族が大切だ。家族の写真を見せて盛り上がるのだ。アヤが描いてくれたムスコの肖像画は宝物になった。
バグダッドに戻ってからも、ムスコを思い出して絵を描いてくれた。
悲しいことに、bye-bye Makiとそえてある。
それから、体調が悪化し、最後の絵となってしまった。ありがとうアヤちゃん。
いいままで、まとまった形でアヤちゃんの絵を紹介する事がなかったけど、きちんとまとめなくてはいけないと思った。
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ムスコの絵
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この絵が2010年のサマーキャンプで描いてくれたムスコの絵
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by kuroyonmaki | 2012-05-12 12:38
アブサードの提案でアヤちゃんの遺族を訪問することになった。アヤのお父さんはおとなしくて、感じのいい人だったが、アヤちゃんが治療している時は、とても暗く、近寄りがたい雰囲気もあった。今回家庭訪問は初めて。丁度数日前に、彼女の絵を改めてみて、やっぱりチョコレートには彼女の絵を使いたいと思った。今年は数をまた増やすので、3ヶ月も前からデザインを仕上げなければならない羽目に。数日で仕上げなさい!と叱られそうだが、これがなかなか数日でできるものではない。ガンの子どもたちとの関係作りから始めていくので、ただかわいいデザインができればいいというのではない。今年のテーマをどうしようかなと思って探していたら、アヤの変電所の前で楽しそうな女の子の絵がメモリースティックに入っていた。
この絵はなんだかイラク戦争と日本の福島問題ともつながってみえた。石油が取れる国が、戦争でぼろぼろにされ、ろくに電気がこなくなってしまったのだ。原発を止めるとともに、資源のための戦争も止めたい。そしてアヤの写真も出てきて、病院にもいけずに、自宅で点滴を受けるアヤ。世界の格差を感じてしまう。
http://www.youtube.com/watch?v=fA6zXyuEe_Y
今年のチョコ募金のテーマは、グリーンエネルギー。子ども達の絵から、グリーンエネルギーを考えてみる。アヤの絵には、電気があったり、自転車の絵があったり、ガスの絵だったり、面白いモチーフが満載されている。
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それで、アヤの絵を中心に4つのテーマでコラージュしたものを作ってみた。
1)イラクの電気事情をしってほしい。
イラクはバグダッドで、3時間電気がきたら一時間は停電という状況が続いている。産油国なのに、イラク戦争後、益々イラクは途上国化している。日本がどうしてイラク戦争を支持したのか、中東の石油の確保はひとつの大きな理由だ。イラクは、公共の電気がどうしようもなく、町内会単位の発電機から電気を買っている。まさに日本がこれからやろうとしている電気市場の自由化が皮肉にもイラクにはある。
2)持続可能なエネルギー
車より自転車に乗る。自転車って本当にエコなのりもの。最近ジムに行っている人が多いけど、電気でベルトまわしてそこを走るってどうなんの?て思ってしまう。
3)もっと木を
坂本が提唱しているNO NUKES MORE TREES
4)太陽のエネルギー
こういったエネルギーは中東はもっと使うべき。ヨルダンが原発を入れて近隣に電気を輸出しようとしているけど、夏場の太陽の力を利用しない手はない。

それで、アルビルのガンの子どもたちに、このアヤの絵を見せてイメージするものを描いてもらった。アヤほどはうまくかけないけど、一生懸命アヤの絵をまねしようとしているこどもたちの絵が面白く、最終的にはそういうのをコラージュして、作品に仕上げる予定。一週間ほどアルビルにこもって缶のデザインを完成!今日本の缶工場では、印刷に取り掛かっています。
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by kuroyonmaki | 2012-05-12 04:59 | イラク情報