中東を拠点に国際協力の分野で活動する佐藤真紀のオフィシャル・ブログ コメントはkuroyonmaki@yahoo.co.jpまで


by kuroyonmaki
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アヤが危ない

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今までも、アヤ・ハイサムのことは書いてきた。
バグダッドの9歳の女の子だ。ウィルムス腫瘍で闘病している。最初、診断がニューロブラストーマではないかと言われ、治療していたが、ヨルダンで診断してもらうと、ウィルムス腫瘍である事がわかった。JIM-NETが治療費の一部を出して、ヨルダンで治療した所、一命を取りとめた。
7月には、アルビルで行ったワークショップにも参加できるほど元気になっていた。
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しかし、アヤは、他の子どもたちに比べ元気がないような気がした。
お父さんも、「治療方針に疑問がある。アルビルの医者に相談したい」という。

父「今の治療では、週に何日も病院に通わなければならない何とかなりませんか?」
医師「がんを治そうと思ったら、ちゃんと治療を続けるしかないのです」
父「それでは困るんです。病院に連れてくる日は仕事ができない。借金を返せない。。」
医師「そういわれても。。」
そこで、JIM-NETのローカルスタフがお父さんの変わりにアヤを病院に連れて行くことを申し出たのだ。
アヤに笑顔が戻った。

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バスのなかで、踊るアヤ左はバスラから来たザイナブ。

しかし、2週間前ほどから様態が悪化しているという。
バグダッドのイラク人スタッフによると「早くヨルダンに連れて行かないと」
だが、体力が低下し、現在はバグダッドの病院だ。
今日送ってきた写真を見からには、弱っていっているのがわかる。
早く回復して欲しい
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アブサイードに様態を電話で聞いてみる。
「病院に行ったが、意識がないんだ。話しかけたけど、おきない。行くたんびに、お母さんになきつかれるよ。早く、アンマンに連れて行こう」
「だって、意識がないんだろう。そんなんで連れて行けるのか」
「もちろん、少し状態がよくなったらだが。」
「体力が持ちそうだろうか」
「難しいと思う。神のみぞしるだ」

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by kuroyonmaki | 2010-08-31 00:53

印刷工場視察

朝の6:30分、清瀬にて池袋線の電車に飛び乗る。それにしても、朝の6時半でこの暑さ。信じられない。結構満員電車。
「限りなき義理の愛大作戦」来年のコンセプトも大体きまり、缶入りチョコのデザインも出来ました。
正直、こんどのもちょーかわいいし、カッコイイです、残念ながらまだ、ヒミツ。

今日は、鉄板に印刷をするので、色の出具合をチェックしに北千住の印刷工場にお邪魔。12万個分の缶をまず鉄板に2日で4色印刷してしまいます。
そしてその後、加工専門の会社で生計。さらに、細かい加工を別の会社が請け負い、二週間で3万個づつ、合計2ヶ月かけて12万個の缶をつくり、今度は、六花亭でチョコを製造し、詰めていきます。
そして、11月からは、東京の知的障害者作業所で詰め作業です。
そして、12月から受付。皆様のお手元にとどきだすという段取り。IMG_2480

鉄板の印刷は、特殊な技術が入ります。かつて、関東に40件位あった町工場がここ数年で激変し15まで減ってしまったそうです。
社長の話だと1970年頃までは、ブリキのおもちゃを日本で作り、アメリカに輸出。それで結構潤っていたそうですが、為替が固定レート360円から変動制に切り替わった頃から、円高になって輸出が出来なくなり止めちゃったそうです。
そして、その後は、日本の文化は、お中元とかお歳暮、ちょっと高級感のある缶入りお菓子とかノリの缶なんかの受注があったそうですが、最近ではそういうのも減ってきているとか。
我々の義理チョコって、そういう意味では、ほんと、日本的。
僕も、サラリーマン時代は、工場で働いていたこともあり、ものづくりの現場に立ち会うのは大好きです。
そして、こういう産業は、応援したくなります。
12万個の缶の受注は結構多いらしく、「また、来年もよろしくお願いします」と念を押されました。


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by kuroyonmaki | 2010-08-31 00:46
イラクから、アメリカ軍が撤退、ますます、イラクの報道が少なくなる中、イラクの治安は悪化し、援助も厳しい局面を迎えています。

JIM-NETは、メディア等に協力し、発信することを目指してきました。
ここに来て、またJIM-NETがメディアに取り上げられるようになっています。
最近のTVを解説。
まずは、NHK総合の海外ネットワーク。8月7日放送です。
味田村記者の現地取材
http://www.nhk.or.jp/worldnet-blog/200/57743.html
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バスラの治療中の少女、イマーン。白血病で片足を切断している。この車椅子がすごい。プラスチックのパーティ用のいすにタイヤがついている。
味田村さんからの問い合わせもあり、井下医師にきいたところ、白血病で足をくることはまずなくて、別のがんを併発しているか、抗がん剤の注射がうまくいかず、壊死して切断したのではないかということ。へたくそな手技によって、このように、足を切断しなくてはいけない例も多々見られます。
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イマーンちゃんは緊張しているのか元気がない。
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お父さんのコメントも強烈。同じように足を切断した、アヤちゃんが、とても元気なのには驚かされる。前向きなのかな。義足がないと、後ろ向きになってしまうのかも。番組を見た人からは、義足を支援してあげて!とか言う声はなかったのだろうか?
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川添看護師の一言、「子どもを助けたい」これがすべてを物語っている。
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スタジオではサブリーンの話。北澤さんのコメントも良かった。


続いてこちらは BS11 8月25日放送のinside Asia
アジアプレスの野中さんがキャスターIMG_2357

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劣化ウラン弾禁止の動きと、劣化ウラン弾とがん発生の因果関係を証明するために活動中のバスラから来たドクターたちのインタビュー。
10月の国連総会では、きちんと劣化ウラン弾の事が話し合われることに成っており、注目が集まります。そのための世論喚起にJIM-NETもまい進しています。
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by kuroyonmaki | 2010-08-26 00:48
まもなく始まる国連総会で、劣化ウラン弾の事が話し合われる。日本としてもこの問題に積極的にリーダーシップをとって欲しいものだ。菅さんも岡田さんも野党時代に、劣化ウランの質問をして小泉首相を追い詰めた。
与党となったら立場をかえるのか?民主党にとって、劣化ウラン弾が、与党を攻撃するための道具だったのか、それとも、心のおくから、劣化ウラン弾を廃止しようと思っているのか真価が問われる。

○菅直人
そこでもう一点。このイラクの戦争で劣化ウラン弾が使われたと言われております。放射能被害が出ているんではないか。私も広島でイラクの現地から来られた医師にお会いをいたしました。この点について、総理はどういうふうに考えておられますか。

○川口国務大臣 劣化ウラン弾につきまして、アメリカ軍のブルックス准将が、アメリカ軍は少量を持っているけれども、それをイラクで使ったかどうかということについては何も言っていないということでございます。
 それで、政府といたしまして、アメリカ軍に対して、米政府に対しまして、それを使ったかどうかということの問い合わせをいたしました。何回かいたしましたけれども、それに対しては、米軍としては、ブルックス准将が言ったように、米軍は持っているけれども、それは少量であって安全性に問題はないと考えている、それをイラクにおいて使ったかどうかということについては言わないという回答を得ております。
○菅(直)委員 今のは答弁なんですか、何ですか。単に事実関係の説明だけじゃありませんか。
 劣化ウランというのは、総理は御存じですか。私も調べてみました、話を聞いて、電力会社の人からも。ウラン鉱から、原子力発電所とかそういうものに使えるような、いわゆる燃えるウランを抽出した後のウランのことを劣化ウランと呼ぶんだそうであります。そしてこれは、ウランというのは大変原子量が高いですから、比重が重いわけですね、その重いウラン鉱を使って、ウランという金属を使った砲弾だ。
 一般的には、単にあるだけではそれほど放射能は強くないそうであります。多分、アルファ線だと聞いておりますけれども、余り飛ばないそうでありますが、弾頭として戦車に当たったとき、それが高熱を発して、いわば気化状態になって、空中に飛散して体の中に入る。そうすると、体の中に入った放射性物質は、外にあるものと違って、長年内側から放射能を体に与えますから、それでいろいろな被害が出ている。このように、少なくともイラクのお医者さんや、日本でもそういうことに関心を持っている方は言われておりました。
 先日も、あるテレビ報道で現地の報告を、私もそれも拝見しました。お会いをしたのはもっと前ですけれども、イラクの方にお会いしたのは。広島で、あの原爆の記念碑で私はお会いをいたしました。
 核兵器そのものでは全くありませんけれども、しかし、日本において、この被曝という状況は核兵器と似たようなことがあります。ぜひ総理にも、しっかり関心を持って、単に米軍が使ったかどうかはっきりしないという報告を外務大臣にさせるのではなくて、もしそういうことであれば、それは日本も、それこそイラク支援の一環として積極的に取り組むんだぐらいのことは言ってほしいなと思って申し上げたところであります。

平成16年2月10日 衆 予算委員会

○岡田委員 劣化ウラン弾について一言申し上げたいと思いますが、さきのイラク戦争あるいは湾岸戦争でこれが大量に使われたと言われている。確かに、我々、映像を見ると、その影響を受けたと思われる子供たちの映像が出てまいります。
 総理は、今回自衛隊をサマワに送って、そして子供たちに水を、こう言われるけれども、水も大事ですけれども、ああいったことに対してどう考えておられるのか。総理の肉声が伝わってこないんですよ。事実関係がはっきりしない、原因かどうかわからない、だけれども、現実に、統計的にはっきりとしたものが出ているし、恐らく自衛隊の皆さんも、劣化ウラン弾に対する対応というのはしっかりした上でサマワに行かれたと思いますよ。そういったことに対しての総理の思いというのが伝わってこないんですよ。小型核だって、被爆国である日本からすれば、もっと本気になってとめに入っていい話でしょう。それは、私は非常に残念だということを申し上げておきたいと思います。
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by kuroyonmaki | 2010-08-24 21:57

香川、ストップ鼻血!

2007年1月、新聞記事から始まりました。
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JIM-NETが、ガンの患者が輸血が出来ず、鼻血を流して死んでいく姿をみて、何とかしたいと立ち上げたのが、ストップ・鼻血キャンペーン。当時佐藤が、国際的なキャンペーンにしようと作った鼻血缶バッチ。
絵を描いてくれたのがサルマン君。
2007年のチョコ募金のパッケージもこの絵
はなぢがでたよ(表紙nomi)

そして坂田明さんが文章を書いてくれた。
はなぢがでたよ(裏)

この新聞記事を読んだという、山本さんから、ぜひ、今度耳鼻科を開業するので、ロゴに使いたいという申し出の電話。当時、僕もどうして良いかわからず、二次使用をしないということと、本人[この絵を描いたサルマン君]の許可を得ればということで、使用してもらうことに。
あれから、3年たって、未だにやっぱり鼻血が止まらない。
成分輸血のセルセパレーターの消耗品も不足が続いている。今までJCFが、ジャパーンプラットフォームから資金提供を受けてきたが、イラクの緊急性はないと言うことで終了、JIM-NETが、ストップ・鼻血キャンペーンを再開する必要性を強く感じたのだ。徳島に来たついでに香川まで足を伸ばし、山本耳鼻咽喉科を見せてもらうことに。琴平に来ると早速看板を発見

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山本先生です。チョコレート募金にもたくさん協力してくださいました。
金毘羅山が近くにあり、連れていてもらいました。
ただ、親父二人は、暑さのためにへばってしまいましたが、讃岐うどんを食べて復活。
夜は、西川小児病院の2階で報告会。
なんと西川先生は、井下さんが子ども時代喘息で苦しんでいたときの主治医だったそうで、すっかり大きくなった井下さんと再会できて大喜び
イラクのがん子ども達の多くが、自分も大きくなったらお医者さんになって、命を助けたいといいます。井下さんも、西川先生をみてあこがれたのかもしれません。
井下、川添、佐藤の3人が現状を報告。イラクの子ども達を助けるのにどうしたらいいか、アイデアを出し合いました。無理なく、持続可能な支援。そして、支援を続ける事が戦争につながらない啓発になるよう、イラクの子ども達のことを伝えていきます。いま、四国が熱い(暑い)です。徳島、香川だけでなく、愛媛や高知にも支援者の輪を広げて、行きたいです。もう少し涼しくなったら、もっと四国88ヶ所講演ツアーとかしたいです。

最後に、井下さんもすっかり大きくなりましたが、サルマン君。
3年間でこんなに大きくなりました。
6月25日 219


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サルマン5歳のときに白血病、3年間治療。現在10歳で元気。
3歳の時、転んで鼻血が止まらなかったkとがあり、そのときと白血病になってからの鼻血がかぶさり、鼻血を出している自画像をかいた。

さとうまき
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by kuroyonmaki | 2010-08-22 00:58

徳島に来ました

8月18日、なんとバスが込んで、羽田にはぎりぎり。まさに飛行機に飛び乗り徳島に。今後の、現場の支援をどうするか、佐藤、井下、川添との重要会議が徳島で開かれる。
集合場所は徳島のガスト。極秘会議は無事に終わり、今年度の現場支援の詳細が決定。
そして、その後、「さくら診療所」を表敬訪問。ここは井下が、職業医師という別の顔をもってはたらいているところ。
院長先生の吉田先生はかつてマラウイで協力隊に参加。帰国後、国際協力のNGO、TICOを立ち上げます。事務局長の福士さんも協力隊の同期とか。TICOの事務局もさくら診療所の中にあります。
協力隊のこと、NGOの運営などについて意見交換大いに盛り上がりました。
TICOのすごいなあと思うのは、医療という専門性を軸に、地域の診療所、国際協力、農業、人災育成が、しっかりとつながっているところ。IMG_2286

さくら診療所の前で、右端が吉田先生
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吉田先生の畑、こんなに大きい!
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井下のおっさんのトークもあります。
詳しくはこちら
http://www.tico.or.jp/aboutTICO/activity/japan/chikare/about.html
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事務所の皆様と。
みんな生き生きと仕事されているなあと思いました。
徳島という地域性なのかな。
あとは、僕個人の思いいれもありますが、協力隊で2年間活動した人はやはり強いなあと。今と違ってメールもない時代。NGOと違って、お金もないから、自分の技術や人柄を現地でどう評価されるしかない。調整員なんかもいい加減で頼りにならないから、自分で工夫して成長していく、そういう機会を与えてくれたのが協力隊。国際協力なんて損なもんだと思うし、人生なんてそんなもんじゃないのかな。
協力隊のOB.OGが頑張っているのはうれしいですね。同じ鎌の飯を食ったというか。僕は協力隊に行くのみんなにすすめています。多分最近は、昔と違って、メールも電話もあるし、短期のボランティアもあって、苦しい部分ってどんどんなくなっているみたいですが。


さとうまき
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by kuroyonmaki | 2010-08-20 01:04
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皆様、イブラヒムです。日本では、バスラのテロが43名の死者だったと報道されているとか。しかし、実際は150人を越えています。
先日もバグダッドで、チェックポイントが襲撃され、警察官が殺されていますが、バスラでも、テロリストが拠点を作りつつあるとの情報が入ってきています。
8月7日のような大きな爆発は、バスラでは初めてです。
誰が、何のためにこのような殺戮を行うのでしょうか。
 テロがあったのは、いくつかのクリニックが集まっている所です。多くの患者が、巻き込まれたのではないでしょうか?
私たちの病院で働く医師もこの近くでクリニックを持っていますが、幸い無事でした。
病院には相変わらず薬が不足しています。私は、今日も薬の調達に走り回っています。こういったテロがないことをのるしかありません。無事に薬を病院に届け終わるとほっとします。こうやって、患者の子ども達の笑顔をみると本当に、やりがいを感じます。」
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by kuroyonmaki | 2010-08-17 07:07

思い出のサダコ 2

大倉記代さん。初めて会ったのが確か、僕が高校生の平和集会に呼ばれた事があり、その会場だったと思う。大倉さんのことは、写真で知っていた。広島原爆記念資料館からもらったポスターの中の一枚にサダコと一緒に写っている。
サダコと同じ病室で、千羽鶴を折った人だ。
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僕は、この写真展示をパレスチナで、3年間連続して行ってきたので、すっかりおなじみの写真。50年も前の写真。時間と空間を飛び越えて、目の前に本人がいるのに驚き感動した。
確か、そのとき、僕は、一緒に写真を撮らせてくださいとお願いしたのだった。
「JVCがイラクの子どもたちの絵の展示会をすると新聞に載った。その中に、サダコというタイトルの絵があると知って見に行った。驚いた。イラクは地理的にも心の距離的にも遠い。なんでイラクなの、なんでイラクでサダコちゃんが知られているのって。で聞いたら佐藤さんが話してくれた。」
そして、大倉さんとの付き合いが始まった。
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Sadako 

イラク 324

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これらの絵は、2002年10月にイラクでサダコの話をしたときに、イラクの子ども達が描いてくれた絵だ。僕は、イラク攻撃がないことを願い、そして、この子ども達に決して爆弾が降り注ぐことのないようにと祈った。

大倉さんは、高校で図書館司書をされていた。僕が、出合った頃はもう引退されていたと思うが、西東京で、戦争を語り継ぐ活動をされていた。
それで、イラクの子どもの絵の展示などに協力するようになった。
「劣化ウラン弾について知った時は驚いた。あらためて放射能のおそろしさを感じた。劣化ウラン弾は原発の廃棄物利用で考えられたもの。だから私たちが電気を使う文明を謳歌している、それが原発でまかなわれているとしたら、廃棄物はどんどんでる。原発が安全といっても残っていく。未来に負の遺産を残す。そういうことと結び付けたい。反核平和それだけをやっていると、政治的に嫌という人はいる。でも地球環境を守ることを嫌だという人はいない。放射能のおそろしさは目に見えないので皆、無関心だけれど。」

さとうまき
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by kuroyonmaki | 2010-08-12 03:46

サダコの千羽鶴 その1

僕は、初めてイラクに行ったとき、サダコの話をイラクの子ども達にしようと思った。2002年、イラク戦争が始まる前。僕はパレスチナに住んでいて、近くには、日本山妙法寺の堀越和尚がいつも飯を食いに来る。そして、サダコの話をうれしそうにするのだ。パレスチナの子ども達に千羽鶴を教えていた。僕も手伝った事がある。
「ただ、おり方を教えるだけじゃダメです。サダコの話をしなさい。」と諭された。
おかげで教え方もうまくなった。アメリカは、イラクが核開発を行っていると決め付けていて、攻撃をほのめかした。
イラクが、核兵器を作りたいというのなら、それがどれほど恐ろしくて、悲しいものか。僕たちはそれを伝えなければいけない。それが核兵器廃絶の地道なやり方だと思った。でも、そんなに、単純ではなかった。イラクの子ども達は、核兵器なんて要らない。日本はアメリカのようになっちゃだめだ!とイラクの子ども達が訴える。まるで、日米同盟の裏側まで知り尽くした上での助言のようにも感じられた。実際、昨年オバマが、プラハで、核廃絶を訴えたときに、一番うろたえたのは日本だという。「お願いだから、核の傘をちゃんとさしていてください」というのだ。そんな日本とアメリカの関係をイラクの子ども達は、見抜いていたのだろうか。このイラク戦争は、もはや、イラクサイドの問題ではなかった。彼らは、核は持っていない、お金もないから開発する力もない。と明言していたのだ。そして何よりも、そんなものを使われたら、どんなことになるか、みんな良く知っていた。それでも、アメリカを信じるのか否か、それは、我々の問題だったのだ。
僕の平和運動=イラクを攻撃させない。は、見事に失敗した。
tennrannkai
 1999年
Dome
 2000年
Golan sing

1999年から2001年まで、毎年パレスチナで、原爆展をやった。
Imagine 2


sennbaturu

原爆というテーマをいかに「破壊」ではなく「創造」として表現するか。
イラクでも同じだった。
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でも、イラクは、もっと現実的な国だった。サダム・フセインにみんな忠実で、子ども達もそれはもちろんなのだが、一方、忠実に振舞っていたこともあり、どこかいつも冷静で、大人びているような気さえした。
僕は、サダコの話をして、イラクの子ども達はサダコのことを想像して、絵にした。「日本は、アメリカのようにならないで」と添えてあった。
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by kuroyonmaki | 2010-08-11 09:14
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8月7日、バスラ中心部でテロが発生、BBCなどの報道では、43名が死亡との事でしたが、最新のローカルスタッフからの情報では、死者は、150名に達し、300人が手当てを受けているとのこと。
爆発があったのは、町の中心部で、いくつかのクリニックがあり、クリニックに治療にやってきた患者も犠牲になっているとの事です。

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by kuroyonmaki | 2010-08-11 09:11