中東を拠点に国際協力の分野で活動する佐藤真紀のオフィシャル・ブログ コメントはkuroyonmaki@yahoo.co.jpまで


by kuroyonmaki
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<   2009年 08月 ( 18 )   > この月の画像一覧

時間切れ

イラクで見てきたことをできるだけ、忘れないうちにしっかり伝えたいと、ここのところブログ書きに集中してきましたが、そろそろ時間切れです。
残りはいずれJIM-NETのメインのHPにまとまったかたちで書きます。
それと、やはり動画でもまとめて行きたいと思っています。それがJIM-NETニュースです。とはいうものの動画編集は結構大変で。。。

もう少しで、ヨルダンを出国するわけですが、最後にイブラヒムから入ってきたニュースです。
サブリーンの様態が悪化しています。
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昨日私は、サブリーンを訪問しました。彼女はとても疲れていて、頭痛を訴えます。様態は悪いです。
「助けて」サブリーンはつぶやくように訴えました。
今日、サブリーンを病院に連れて行きました。
医者たちは、治療のしようもなく、抗生剤を与えることしかできないといっていました。

イブラヒム

写真を見ると、相当疲れている様子です。
それでも彼女は絵を描いてくれたようです。拡大してみると自分がベッドに寝ている絵です。
生きてほしい。

サブリーンの動画を見ながら、がんと戦う少女を応援してください。

http://blog.livedoor.jp/jimnetnews/archives/2009-04.html
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by kuroyonmaki | 2009-08-27 10:17 | サブリーン

小さな先生 アフワーズ

イランには、イラク国境近くにアラブ人が住んでいる。
アフワーズといわれている人たちで、僕もよく知らないのだが、イランからの独立を目指す人たちもいるとうので、1925年から迫害を受けているという。落ち着いたら詳しく調べてみようと思うのだが、イラン・イラク戦争時に逃げてきた人たちと、最近になって、イランの秘密警察がイラク内に入り込んでイラクでも安心して生きていけないと、ヨルダン国境に逃げてきた人たちがいて、イラク側の国境の出入国事務所の周りの空き家に住み着いていた人たちが、7月になって、アルワリードキャンプに収容された。


イラン・イラク戦争でアラブ人という理由で迫害、国境に逃げ、イラク軍が保護をして、その後難民としてイラクに住む。パレスチナ人と同じで、特に難民ということではなく、イラクの市民として生活していたようだ。
2006年頃からイラクの中でも迫害が厳しくなった。イランの息のかかったシーア派の勢力が強くなったことと、イランからも秘密警察が入り込んできたからだ。

ハイダル君 12歳は、イラクで生まれたが、イラク戦争後、治安が悪くなり、 4年間学校に行っていなかった。9月からは、パレスチナ人が通っているアルワリードの学校に行けるので楽しみにしているという。彼が住んでいたディワニアというところで、イラン系武装集団に襲撃を受け、彼も頭を怪我する。
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ハファド君8才は一年前にお父さんがイランで撃たれて逃げてきた。彼も学校が楽しみだという。
「算数が得意なんだ」
「図画も好きだよ」
「どんな絵がかけるんだい?」
「何でもかけるよ。」
「じゃあ、ここでの生活を描いてくれるかい」
周りの大人が、
「じゃあ、水のない生活を描いてみろ」
というと、少年はうれしそうにうなずいた。
  
アフワーズは 現在でもイラン国内での迫害も受け続けているという。900万人のアフワーズが迫害を受けている。
2005、2007、2008、抵抗運動があった。アラビア語を話すなといわれる。1925から占領されているんだ。
アラブ服を着ているだけでつかまる。
ナセルさんは8ヶ月前イランから逃げてきた。弟が処刑され他にも何人か親戚がころされた。それで逃げてきた。
1980年から、アフワーズの人たちがイラクに逃げてきた。逃げるしかなかった。UNが助けてくれているが十分ではない。
彼は、2回つかまった。5年間つかまって、毎週尋問。3回目に捕まえに家に来たので逃げた。
家族の半分は逃げた。2人はまだイランにいる。妻が2人を連れてきた。
シリアが近いので、シリアの警察に捕まるとイランに送り返されるかもしれない。
イラン国境をどうやって越えたのか?
お金をだす。2:30の夜にこっそりと、国境を越えた。親戚がブローカーを紹介してくれた。
イランで一ヶ月身を隠していた。イラクの国境警察は簡単だった、アメリカも何も言わなかったので、お金で何とかなった。

キャンプを歩くと、みんな口々に水が不足していることを訴えた。
「ぜんぜん水が無いんだ。」
給水車が時たま水を売りに来る。
イラク国境にいたときのほうがよかった。
国境では、荷物を運んだり、掃除をしたりする仕事があって、月に300ドルほどは稼げたという。

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学校ごっこ
リトルテーチャー
この少女は、小さな子どもたちに読み書きを教えていた。
未来を感じずにはおれない。
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by kuroyonmaki | 2009-08-27 09:08

クルド難民

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7月5日、ノーマンズランドにいたイラン系クルド難民。186人は、全員がアルワリード難民キャンプに移された。早速、JIM-NETニュースがインタビューを開始。
6月20日は世界難民の日。イラク政府が、ノーマンズランドの難民たちをアルワリードに移すことを決定すると反対する難民が突如ハンガーストライキに突入。
UNHCRと交渉の末結局、アルワリードキャンプへ全員が移された。
UNHCRによると、クルド自治政府は、政治的に移住が難しい11ケースをのぞく全員の受け入れにすでに合意しており、UNHCRは、クルド自治区への第三国定住を薦めている。しかし、難民たちは、クルド地区は、」イランの影響を免れないとし、ヨーロッパなどへの第三国定住を求めている。
散々もめた挙句、当面、アルワリードで、国連等の人道支援を受けながら、定住先を探すという。しかし、UNHCRの話では、彼らを受け入れようとする国はなく、国際社会の関心もむしろパレスチナ問題へむかっており、優先順は低い。
まず、キャンプの住民に、ノーマンズランドの生活と比べてここでのくらしはどうか聞いてみた所、「ここのくらしは大変です」
「でも、比べてみると、クリニックもあるし、UNのサービスもよくなったのではないか」と突っ込むと
「確かにそうですが、やはり大変です。問題はそういうことではなく、いつになったらここから出られるのかということです」
中には、「ここでの生活のほうがいいです」という人もいたが、そういう答えをすると、通訳をやってくれている、キャンプのリーダーは、あからさまにいやな顔をする。
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国連が、薦める北イラクの難民キャンプ
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我々は、何度かクルド政府内にあるキャンプを訪問したが、一戸建ての家が用意されており、砂漠のキャンプよりは明らかに環境はよい。仕事につけないなど、2級市民的な扱いを受けることを危惧している難民もいるが、UNHCRは、「たとえ、ヨーロッパに行っても、仕事があるかどうか保障できないし、何らかの2級市民的な扱いは存在する。」と警告をしている。子どもたちの未来を考えた最良の妥協点を見出すことが必要だ。
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by kuroyonmaki | 2009-08-26 06:11

自分が一番の被害者

イラン系クルド難民のAくん。ノーマンズランドから移って来た。彼は、KDPI(イランクルド民主党)に属していたとして、自らは政治難民だと主張している。
いつも早口の英語でまくし立てる。
「私たちは苦しんでいる。UNHCRは何もしてくれない」最近ではUNHCRの文句ばかりが出てくる。
UNHCRのことはおいといてどんな風に大変なのか具体的に知りたいのだ。
日本から電話しても、決まりきった抗議文を朗読するようなしゃべりが続き、電話代がかさむ。
キャンプインした初日。
UNHCRから頼まれていた患者の診断。
7月5日に、ノーマンズランドから移されてきたクルド系難民は、兎も角、キャンプ生活のひどさをまくし立てたのだ。鎌田先生が、「病気は治っているんだよ」といっても、納得しない。
ひとつは、日本の医師が、如何に大変な病気にかかっているのかを証明してくれれば、難民キャンプを出られると思っている。
 A君は、私に取り巻き、UNHCRの苦情を言い続けた。気持ちはわかるのだが、政治難民の受け入れに関しては、私たちには、何もできないのが現状だ。
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 夜、僕は、A君を連れ出し、パレスチナ人の難民キャンプを訪問した。マフムード君14歳のテント。おなかには手術の傷跡がなまなましい。
「ラマダンしている?」と私が聞くと、「この子は腎臓がひとつしかないから」という。
彼は、2007年4月15日、爆弾テロに巻き込まれ、鉄の破片が腎臓に突き刺さって、腎臓を摘出。
一ヶ月さらに、5月29日に爆弾テロに巻き込まれて、今度は足を怪我した。
そして2008年、お兄さんがテロに巻き込まれる。3月6日爆発にあい、5日間病院に入院するが、意識は戻らず11日に死亡した。
イラク人の場合テロに巻き込まれた場合は、殉教者としてお金がもらえるが、パレスチナ人なので一切お金は出なかった。2008年8月8日に、武装したバグダッドの政府が入ってきて、このビルから出ろと命令した。このビルは政府のビルだから出て行けという。出て行かないとすべて殺すというのです。」
 私たちが話を聞いていると、親戚が集まってきた。
無邪気に遊ぶ4歳の少女ウードちゃん、しかし、この子は、お父さんがいない。
ルウェイダさんは、マフムード君のおばさんだが、イラク人と結婚してバグダッドに住んでいた。22歳。2004年の12月のことだ。ルウェイダさんは妊娠5ヶ月だった。「銃を持ってきた警察がやってきて、ドアをノックした。夫が出て行くと、銃声がして、夫が死んでいた。車は去っていった。2009の一月にキャンプに逃げてきた。政府がここに住むなといってきたので逃げてきた。
夫はなぜパレスチナ人と結婚するのかといわれてころされたのよ。」
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イブラヒムさんは、70歳だ。
「わたしは、息子と一緒に逮捕されました。12時の夜やってきて、飛行場にある刑務所に連れて行った。40日間収容されました。パレスチナ人はテロを支援しているというのです。私は拷問されなかったが息子は拷問されましたよ」
60歳のバルキースさんは、
「民兵が入ってきて私の25歳の息子を誘拐しようとしました。わたしと傍にいた妹でやめってといって、彼をかばおうとしたら撃たれました。弾丸は胸を貫通しましたが命は助かりました。娘も怪我をしました。」
 バグダッドにすんでいたパレスチナ人はすでに、2000人近くになるといわれています。
さすがのA君も驚いていました。
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by kuroyonmaki | 2009-08-25 17:49 | 難民

砂漠のラマダン

鎌田實医師と一緒に旅を続けている。
旅のコーディネーターという仕事もそれなりに楽しいものだが、本来僕は、計画を立てずにふらーっと行ってしまう、そういう旅が好きだから、コーディネーターには向いていないのかも。
今回、運悪く、ラマダンにぶつかった。
アルワリードキャンプに向かう日がラマダン初日だ。
僕はイスラム教徒でもないから、断食をする必要は無いのだが、結局一度車で出発してしまえば砂漠を延々と走るわけで、食い物など手に入らない。前の日に買い込んだスナックが少しあるくらいだ。
シリアの国境につく。太陽はすでに垂直に照り付けている。
国境には、外務省を通して僕たちが行くことは連絡積みだが、何かと待たされる。
10時に国境についてから、5時間は待たされた。
人生は、大概において待つことだ。ただひたすら待つ。
脳みそは、悠久な砂漠の時間に支配され、何も考えることもできず、水分が体から蒸発していくように、まるですべての記憶は蒸発していくかのようだ。
蒸発するのが水だけなら、水さえ後で補給してやれば、記憶はよみがえる。そう願いたい。
 ドクター・鎌田がせわしく、UNHCRから依頼された患者を診察し始めた。
そして、あわただしく去っていったのだ。
僕は一人砂漠に取り残された。僕のパスポートは、イラクの国境警察に預けられている。つまり、パスポートがなえれば、難民というわけで、擬似難民体験が始まってしまった。
 焼付いた太陽が地に落ちるまで、まだ、一時間はあった。
人々はにわかに活気付き、テントの外へ出て遊ぶ子どもたちも現れる時間帯だ。
ここのキャンプは、イランから逃げてきたクルド人
イランから逃げてきたアラブ人
そしてイスラエルから逃げてきたパレスチナ人がそれぞれの居住区でくらしているのいだ。
クルド人の子どもたちは、大地に水を含ませさそりが浮き上がってくるのをまっていた。
すでに2匹のさそりを捕獲している。
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突然米軍のヘリが旋回し、フレアを発射した。
最初ミサイルかと思い不安になる。

8月17日、アルビル
8月18日、アルビル
8月19日スレイマニア
8月20日ハラブジャ
8月21日アルビルからヨルダンからシリアへと3カ国を一日で移動!
8月21日、ラマダンが始まる。
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by kuroyonmaki | 2009-08-25 07:04

難民キャンプ

今日はシリアから国境を越えてイラクに入り、アルワリードキャンプに来ています。
パスポートをイラク警察にあずけているので、国境のUNコンパウンドにとめてもらうことに。
 昼間、結構時間をロスして夕方にキャンプイン。鎌田先生たちは、先に帰ってしまい、私一人でキャンプをまわりました。
キャンプに泊まることになっていたのですがUNのスタッフが、UNコンパウンドのほうがセキュリティがいいというので、11時ごろにうつることに。
というわけで、パスポートコントロールの後ろ側のUNハウスから書いています。
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by kuroyonmaki | 2009-08-23 06:32

suhadd

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バグダッドからスハッドちゃん一家がアルビルまで会いに来てくれました。5年ぶりの再会。この家族は、貧しいのだけど、父が音楽学校の守衛で、学校に住んでいたので楽器を触ることができました。
バグダッドの宗派対立が激しくなると、他にすることもなく、音楽が唯一の楽しみでした。
今では、オーケストラに入っているそうです。
ついこの間も、イラクの大臣たちを前に演奏したとのこと。
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スハッドちゃんは、「大臣がいて、緊張しましたがとてもうれしかったです。でも、もっとうまくなって、チャリティコンサートができればいいな。」
スハッドちゃんの夢は、音楽家ではなく、お医者さんになって多くの子どもたちの命を助けてあげたい
とのこと。
彼女の言葉で、印象に残っているのが
「イラクは、暗いイメージで語られていますが、私たちは普通の人間なんです。戦争とかテロだけでなく、音楽を楽しんでいる人たちもいるんです。そのことを伝えてほしい」確かに、イラクの話になると、誰が一番大変な思いをしたかのくらべっこになってしまうのですが、ポジティブなエネルギーをしっかりつたえたいな。
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by kuroyonmaki | 2009-08-20 13:46

ナナカリー病院を訪問

8月16日、JIM-NETが新しくかかわろうとしているナナカリー病院を訪問。責任者と打ち合わせた。
新しい支援は、
1.ナナカリー病院のキャパシティを向上すること
2.日本人技術者を貼り付けることで、input に対しoutputをモニターし、バグダッドやモスル、バスラへ広げること
です。
1に関しては、特定の薬に絞り込んだ足りない薬の供与。
         感染症対策コントロール
         院内学級
         貧困患者の交通費支給
などが考えられ、今まで、JIM-NETがやってきたことを生かしながら、実際の効果を評価することができます。
2.にかんしては、フローサイトメトリなどの機材がはいっているが使われていないとのことなので、これを立ち上げて、動くようにし、癌の診断がきちんとできるようになると、バグダッドやモスル、バスラなどでも診断がうまくできて、治療成績が著しく向上することが期待されます。
17日には、鎌田医師など、専門家のチームが合流し、話を詰める予定です。

さて、院内学級というのも曲がりなりにもJIM-NETの得意とする分野となりました。
早速、病棟を訪問して絵を描いてもらいました。
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JIM-NETの主催する「限りなき義理の愛」大作戦のチョコレートのパッケージデザインを子どもたちと一緒に作りこんでいく作業です。
 この少年は、カルクークからやってきました。
もう2週間も入院していて、「おうちにかえりたいよー」と泣き出しました。
この病院は、小さいのでプレイルームがありません。
絵を描きだすととたんに元気になりました。子どもたちにはこういうふれあいが大切です。

         
         
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by kuroyonmaki | 2009-08-17 13:37

サブリーンの癌が再発

毎回、イブラヒムが持ってくるサブリーンの絵を楽しみにしているのだが、今回イブラヒムは少し元気が無い。
サブリーンのがんが再発したという。
2007年の春に再発した。そして、2008年の8月にも再発し、手術をしている。
イブラヒムが医師の診断書を持ってきたので、早速日本の友人の医師に見てもらう。


「5月7日のには見られなかった、頭蓋内転移が8月5日のにはみられると書いてあります。
骨も壊れている所がありとのことです。

放射線、化学療法したうえでの再発ですので手の施しようがない。
余命1-3ヶ月と言ったところでしょうか。」との返事が来た。
僕もイブラヒムもとても重たい気持ちになっている。
何とか、助かってほしい。

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サブリーン家にも男の子が生まれました。
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今回も素敵な絵を描いてくれました。
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by kuroyonmaki | 2009-08-17 00:46 | サブリーン

イブラヒム参上

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バスラからイブラヒムがやってきた。
最近嫁をもらったイブラヒムはすこぶる元気になっている。
しかし、バスラのインフラは悪く電気は一時間しか来ない。
住民の不満は爆発寸前の中で、サドル派が力をつけてきている。飛行場にカチューシャを打ち込んだりしているという。
しかし、それでみんなが幸せになれるわけではないのになあ。
 
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by kuroyonmaki | 2009-08-16 18:50 | イラク情報