中東を拠点に国際協力の分野で活動する佐藤真紀のオフィシャル・ブログ コメントはkuroyonmaki@yahoo.co.jpまで


by kuroyonmaki
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<   2008年 11月 ( 16 )   > この月の画像一覧

いよいよ、ヨルダンに向け出発。
スマイル医師団に加わり、ヨルダンとイラクの国境にはさまれた難民キャンプの医療支援を行う。
UNHCRから依頼されているのは、砂漠の難民キャンプに薬保存用の冷蔵庫を寄付すること。
そして、インフルエンザの予防接種など。
できたら、イラク国内の難民キャンプも視察する予定だ。
関空に集合。すっかり、クリスマス気分。
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しかしよーくみるとこのクリスマスツリー、ぬいぐるみでできている。
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フェリシモが行っているハッピー トーイズ プロジェクト。
ぬいぐるみの型紙を買って、いらなくなったはぎれで、ぬいぐるみをつくり世界の子どもたちにプレゼントしようというもので、クリスマスの期間、こうやって展示された後、いろんな国に送られるのだ。
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イラクの子どもたちにも届けらた。JIM-NETの名前ものっている。
http://www.felissimo.co.jp/toys/
2007年JIM-NETではヨルダンにいるイラク人に配りました。
target="_blank">http://jimco.exblog.jp/i3/
がんでヨルダンで治療中だったアヤやイラフは、イラクに帰国。ぬいぐるみはイラクへ入国。
そして、先日、心臓病を患っているヌーランちゃんがオーストラリアに難民として受け入れられ、今年の3月に、ヨルダンを去っていった。
心臓の手術をするのに更なる支援が必要とのことで、9月に様子を見に行くと、僕たちがあげたぬいぐるみを大切そうに見せてくれた。コアラの人形と一緒に混ざっているのが妙にリアル。
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まさに、ぬいぐるみも難民と一緒に世界を移動している。
なんかこうダイナミックな感じ。
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by kuroyonmaki | 2008-11-29 04:10 | アンマン滞在日記
カーシムが3度めの来日を果たす。
11月22日は、劣化ウランを禁止しようと毎年集まる国際行動デー。
僕自身、ほぼ毎年、JIM-NETのイラクのがんの子どもたちの医療支援のお話をさせていただいている。
カーシムが応援に駆けつけ、日本の皆さんがイラクの子どもたちを支援しようとしていることに謝辞を述べてくれた。
会場からのカンパも8万円集まった。ありがたい。
それにしても、演者の豊田さんも僕も風邪をこじらしてのどがガラガラ。
夜、カーシムとご飯を食べる。
「日本にはジョークがなにのか」としきりに聞く。
そうだなあ、JIM-NETの榧野が
「おばさんが、池に10円を投げ入れている。何で10円を投げているんです?ときくとおばさん、
だって、鯉のえさ10円って書いてあるじゃない!!」もう一つ
「おばさんがデパートで、お~。お~とへんな声だしてました。
何ですか?と聞くと
だって、「お客様のお声をお聞かせください」とこの箱に書いてあるじゃない」
カーシムも負けずに、サダム・フセインねたをいくつか披露していたが、なかなか笑いのつぼが難しく、結構、りかいするのが大変だった。
翌日、カーシムとのトークをピースボートで。
人数も少なかったので、アットホームな感じでトークできた。
彼は、今回のツアーで軍服を持って歩いていた。
「泥と汗がついた軍服は、記念にとっておきたかった。そして、私が軍服を脱いで、市民になったことの意味をかみ締めている。それを伝えたいんだ。
でも、イラクで共和国防衛隊の軍服を持っていたら、とても危険なんだ。それで、菜穂子に預かってもらっていたっら、娘の服だとおもって、母さんが洗濯しちゃったんだ。泥もあせも水に流れてしまった。それでも、僕は、いつか平和ミュージアムとかそういうところでこの軍服を展示したい。」といっていた。
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僕も見せたいものがあった。
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子どもたちが楽しむ塗り絵だ。サダム政権下でイラク入りした2002年に購入したもの。結構僕はこういうレアアイテムを集めていて、日本にイラクミュージアムつくるんだったら提供するものがいくつかある。
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そこには、どんな教育をしようとしていたのかがよくわかる。
サダム・フセインの絵も出てくる。軍というのはカルチャーそのものだと思う。日本の中で自衛隊が今後どう位置づけられていくのかもカルチャー。
それを作っていくのは、やはり一般市民だと思う。
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by kuroyonmaki | 2008-11-27 15:28 | 日本でのイベント
12月からバレンタインチョコ募金「限りなき義理の愛大作戦」の受付が始まります。
http://www.jim-net.net/contents.html#flier

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赤い花が咲く木。
この絵を描いたのは、イラクの少女ハウラ。
彼女は3年前に白血病を患い現在も治療を続けている。
サマーワにすんでいるので、250km-300kmはなれたバスラの産科小児科病院で治療を受ける。
こんなきれいな花が咲く木が本当にサマワにあるのかどうか知らないが、ハウラの心の中には大きな木があってたくさん花を咲かせているのだ。
そして、彼女はその花を、時には切花にして花瓶にいけてみせたり、花だけ摘んで並べてみたりと、みんなにプレゼントして楽しそうなのだ。
イブラヒムが、ハウラがプレゼントにくれた絵だとして手渡してくれた絵の束には、たくさんの花が咲いていた。ハウラの心の中に咲いた花。
限りなき義理の愛大作戦09では、このハウラのサマワに咲いた花をデザインして、7万個のチョコを提供することになった。
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7万なんていうのは、到底僕のキャパを超えている。昨年品切れになってしまい、多くの皆さんに迷惑をかけたから、今年は多めに作っておこうという趣旨だ。結果、コールセンターを頼んだりして経費の部分が増える。それだけではなく、六花亭も厳しく、チョコレートの原価を10%近く値上げさせてほしいとのこと。こうなってくると、支援金を集めるのもそうだけど、やはり多くの人に触れてほしいという一念に尽きる。
そして、こどもたちには、薬が必要だから、がんばるしかない。
このチョコ募金が、胸をはれるところは、収益がすべて、支援に行くということ。
JIM-NETのスタッフの賃金などは、すべて企業を中心にした参加団体からの拠出金でまかなわれているから、チョコ募金をやろうがやらまいがうちのスタッフは食っていけるわけで、本当に収益は、イラク支援に使われる。この不況時に、これほど率のいい募金はまずないと胸を張っていえる。
ということで、まとめてチョコをほしいという方、早めに連絡をください!
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by kuroyonmaki | 2008-11-17 04:19

危険

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うちの近所はよく痴漢が出る坂がある。
周辺の人々は、痴漢坂とよんでいる。
昔は携帯がなかったので、怪しい人を見たら110番と書いてある看板を見てどうやって電話するんだろうと思っていた。
いまは、まさにどこでも携帯から110番できる。
久しぶりに痴漢坂を歩いてみるとこんな看板が!
こんなひといるんかいな!
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by kuroyonmaki | 2008-11-14 00:11 | 日本でのイベント

アッサンブラージュ展

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ここのところ風邪をこじらせてしまった。
かつての朋友たちが集うアッサンブラージュ展
場所がともかく日比谷と有楽町のど真ん中でいい場所。
急に出さないかといわれたのだが、さすがに時間が。
そこで、例によってイラクの子どもの絵をポスターにしたものを展示。
今年はハウラ。彼女はイラクのサマーワの少女。ともかく絵が好き。
いろいろな画材を与えて、一緒に絵を書くことができればすばらしいなあと思うのだ。

このコンセプトですが、ハウラのかくのは、赤い花のさく木。彼女のイメージの中にはこの大きな木があって、そこから切られた花が花瓶に生けられたり、女の子が手に持っていたり、時には、コーヒーカップの図柄になったりと大活躍なのである。そして、今年のバレンタインのチョコレート。ハウラの絵がデザインされている。パッケージを展示しています。おそらく会期中に本物のチョコを会場でお見せできると思います。


11月14日(金)~19日(水) 日比谷 (東京)  【絵画展】 第28回 アサンブラージュ展
  グループ展にイラクの子どもたちの絵やポスターも特別参加します。
■ 日時:11月14日(金)~19日(水) 11:00~19:00(最終日は17:00まで)
■ 会場:ギャラリー日比谷 (03-3591-8948)
     ※ 晴海通りに面したレンガ造りのシックな画廊です。 
       地下鉄「日比谷」駅(A4出口)徒歩1分/地下鉄「銀座」駅(C1出口)徒歩2分/
       JR「有楽町」駅(日比谷口)徒歩3分
■ 無料
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by kuroyonmaki | 2008-11-13 23:16 | 日本でのイベント

筑紫哲也氏死去

ニュース23の筑紫さんがなくなった。
肺がんだ。
ちょうど帰国したこともあり、金曜日のニュース23を見ようと思っていたのだが、11時になっても杉本彩がバラエティ番組やっていたので、今日はやってないんだと思って寝てしまった。

毎日新聞のインタビュー。
日々、「ありがたい」と思うことがある。「倒れるまで、一日、一日なんて、特に考えないで過ごしてきたけど、先が限られていると思うとね。例えばきょう一日も、とても大事というかね。うん。お墓には何も持っていけないから、大事なのは、どれくらい、自分が人生を楽しんだかということ。それが最後の自分の成績表だと」

私が筑紫さんに直接お会いしたのは確か2回。
一度は、人質事件がおきたときに、私はTBSにいて、番組の収録をやっていた。
高遠さんや今井さんの家族が、ニュース23に生出演するというので、そのままスタジオで待っていたのだ。
2回目は、奥・井ノ上外交官が殺された一年後のメモリアルイベントでのシンポジューム。
佐藤隊長が出るはずだったのだが、早稲田大学が現役の自衛官を大熊講堂の壇上に上げることを拒否。
困り果てた清宮早稲田ラグビー部監督から急遽私に出てほしいと依頼があった。
筑紫さんを加えてのディスカッションだった。
岡本行夫氏は、ものすごくぴりぴりされていて、準備ができていないのでスピーチの順番を変えてほしいといわれた。私も、スピーチの内容がまとまってなかったので、後のほうにしてほしかったのだが、仕方がなかった。そんな中で、筑紫さんは終始ニコニコとされていたのを思い出す。さすがジャーナリストなのか淡々と話されていたのが印象的だった。
清宮監督も、左翼学生の妨害がないように、ラガーを、大熊講堂に数十人配備するという緊張感があった。イラクは、ともかく政治的だったのだ。
その筑紫さん。「僕の体は空爆されたイラクみたいなもの。放射線でがんはほぼ撃退したけど、体中が被爆している。西洋医学は敵を攻めるばかりだが、東洋医学は、がんを生む体にならないようにすることを心がける。それが自分には合っている(毎日新聞)

筑紫さんは、NGOにも協力的だった。ピースボートや、高遠菜穂子が翻訳したカーシムの本には帯を書いてくれた。

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謹んでご冥福をお祈りしたい。
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by kuroyonmaki | 2008-11-09 04:35 | 日本でのイベント

シェムリアップ

11月6日、今日はカンボジア最終日。
JVCのプロジェクトサイトの訪問だ。シェムリアップから一時間車ででこぼこみちを走る。
農村が広がる。
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JVCは有機農法などの農業技術で終了をあげて、村人が食えるようにしようと言うわけだ。
他にも、家庭菜園を奨励している。
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村の交通手段は牛がよく使われる。畑を耕すのも牛。
でも糞をする。
雨が降れば糞が泥に混じる。
汚い。
雨が降れば、水がたまり、牛の糞が混じった池ができて、子どもたちはまるで水牛のように、糞の混じった水で泳ぐ。
それでも、病気にならないのか?
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田んぼの近くには、雨季になると水があふれるので子どもたちが泳ぐ。そして小魚を取って食べる。
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そして、雨水をためて飲む。
まさに恵みの自然。
カンボジアの農民はたくましい。
自然の中で生きていける力を備えている。
僕たちには多分できないことだろう。体のつくりが違うのだ。
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私は、JVCで8年間働いてきたが、一度もカンボジアには来た事がなかった。
今頃になって、JVCの原点とも言うべき土地を訪れたのも何かの縁だ。
ポルポトは、カンボジアの豊穣な土地を見て、原始共産主義を掲げたが失敗した。
内戦は多くの難民を生み出し、隣国タイにいた日本人たちが立ち上がり難民支援のJVCができた。JVCはやがて、難民を生み出さない社会を作ろうとカンボジアへ入っていく。
それは、技術学校や医療であったり、農村開発だったが、私がJVCにいたときでも、いろいろ議論がされていた。
内戦は終結し、人々は、農村を離れて、町の工場に出稼ぎに行く。
経済は良くなったり悪くなったりするものだし、一体この国にとって何がいいのかは、よくわからないし、NGOに一体何ができるのかますますもって難しいなあと思ってしまう。
ただ、カンボジアの子どもたちのはにかんだ微笑は、魅力的だ。
村の子どもは、はだしでパンツもはいていない。
それではいけないのかもしれないし、そういうものかもしれない。
それも僕にはわからない。変化というものも必要だろうし、彼らが必要と思えば変化していくだろう。
今回は、一眼レフを持っていかなかったから、子どもがファインダーから逃げるスピードに追いつかなかった。次回は一眼レフを持っていきたい。
まだ、消化し切れていないのだが、いろいろ勉強になった。
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by kuroyonmaki | 2008-11-09 03:25 | カンボジア

農村へ

11月5日
再び、ドミニクさんと。
コンポントムの農村で支援していたセンターがあったが、所長が死んでから、奥さんが子どもたちをいじめるようになったのか、孤児たちは逃げた。親戚などに面倒を見てもらっているが、フランスの里親たちが奨学金を払って15人ほどの子どもたちを高校に進学させている。
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コンポンチャムあたりのドライブインでパイナップル売りに出会う。
子どもは、カメラ向けると泣き出した。
さて、村に着くと15人の奨学金を受け取る子どもたちが集まってきた。
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彼らは、親が死んだり、出稼ぎで行くへ不明になった子どもたちである。
そこでハプニング。
小さい子どもがやってきて、15歳だという。
ドミニクさんは、「どうしてこのコが15歳だっていうの?この手紙をこのコが書いたって言うの?」その手紙は、奨学金を依頼する趣旨がかいてあるという。
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JVCの山崎さんは、「もしかしたら、こんな小さくてもカンボジアでは栄養失調とかで背が伸びないこともあるから」といって子どもにクメール語で聞いてくれた。
「やっぱり本当は一年生です」
「昔は、こんなうそをつくコはいなかったわ」と怒りまくるドミニクさん。
ドミニクさんは、シャンプーや石鹸、歯ブラシなどをセットにしたのを配り終えると、奨学金を手渡して、以前センターがあったところを見せてくれるという。

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街道沿いに面したセンターは、子どもたちが暮らすのには、とてもいい場所だった。
今は、センターの所長の遺族が暮らしていた。
自分たちが支援したセンターを奪い取られたというドミニクさんは悔し涙をうっすらと浮かべていた。

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by kuroyonmaki | 2008-11-09 01:51 | カンボジア

ポルポト時代

11月4日
トルースレンというポルポト時代の刑務所が現在は博物館になっている。ちょっと時間ができたので連れて行ってもらった。
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ここは、高校の校舎を収容所にし、14000人が処刑された場所だという。
1975年から79年まで、3年8ヶ月、ポルポト政権が続いた。
クメール・リュージュは、20万人を処刑にしたというが、餓死なども含めて100万人以上が殺されたといわれ、人口の3分の1が殺されたことになる。
彼らが唱えたのが原始共産主義で、通貨は廃止され私財は没収され、教育は公立学校で終了した。農業を重視し、住民を都市から追い出した。医者や学者などは、処刑。めがねをかけているだけでインテリだとみなされて処刑された。

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この博物館には多くの殺された収容者の写真が展示されている。
一枚一枚が芸術作品のように見えてくる。
この写真は、生まれたばかりの赤ちゃんを抱えている母親だ。赤ちゃんは真っ先に銃剣で刺し殺されたという。

プノンペンから農村へ追い立てられた人々の中には妊婦もいて、途中で出産した例も多々あったという。レバノンでも似たような話があった。イスラエルに追われて、レバノンへ向かうパレスチナ人が途中で出産。石ころを拾ってへそのを自ら切ったという。
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クメール・リュージュの子ども兵士
すべてが狂気に狂っていたとしかいいようがないのだが、国際社会では、ポルポト政権が、反ソを掲げるという理由だけで、アメリカも中国も日本も、この政権を支援していた。
戦争なんて似たり寄ったりかも知れない。イラクで100万人以上が死んでいった経済制裁を支持してきたのは、国際社会。そして今回のイラク戦争にせよ多くの国が支持している。経済的な損得以外は彼らは、土地の人間がどれだけ死のうが無関心なのである。
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檻の中のポルポト。落書きされるのを避けるかのように檻の中に入れられてしまった。
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ポルポトの兵士たちの証言。
ナエム・ユン当時21歳。
刑務所で働いていたときは、やりたくてやったわけではない。そうしなければ生きていけなかった。選択肢はなかった。

多くのカンボジア人は、ポルポト時代の生き残りに対して許してもいいと思っているそうだ。
その数字は67%という調査結果もある。
このあたり、一体カンボジア人とはどういう文化や考え方をするひとたちなのか私には、わからないが、イラクにしてもいずれは戦争は終わり、人々は許しあう日がくるということか?しかし、アウシュビッツはどうなのか。ナチスは滅びても、イスラエルのパレスチナ人への虐殺は終わらない。土地を追われたパレスチナ人が戻る国はいまだにない。いずれはユダヤ人とパレスチナ人は和解はあるのだろうか。

雨が降ってきた。
ホテルに帰る。
アメリカの大統領選挙。オバマが圧勝したという。
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by kuroyonmaki | 2008-11-09 01:23
子ども権利センターの宇野さんに案内してもらい、HCC(Hearth care center for Children)というカンボジアの団体を訪問しました。
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2004年にできたセンターは日本大使館の支援だそうです。
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センターの所長さん VENはもともと弁護士だったそうです。
子どもたちが戸籍登録をすることで受けられる権利を説明したポスター。
子どもたちが自分たちの権利を理解することは自分たちを守る大切なことです。
このセンターは、家庭内暴力や、児童労働、売春などから保護された子どもや、問題がありそうな子どもが、公立の学校に行けるように支援するのと、職業訓練をおこない、村のお店や、テーラーなどに研修に出して、社会に適応できるようにします。
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この日は先生がいないので、子どもたちが自分たちで学級を行っていました。
センターには現在58人の女の子が寝泊りしています。
タイの国境にもセンターがあるそうですが、そちらはタイに出稼ぎに行って強制送還にあった女性が収容されています。

カンボジアは人身売買の中継地になっている。内戦後の混乱時には、周りの国から売られてきた子どもをさらに売りさばくビジネスが栄えた。売春なども、PKOなどで外国人がたくさん入り始めたころには、タイやベトナムからの娼婦がながれてきたが、カンボジアの中でもそういう産業に子どもたちが取り込まれていく。アメリカ政府もカンボジアの人身売買を非難していることもあり、カンボジア政府も本腰を上げて、取締りを行っているそうです。先日もそういうビジネスを行っているグループが飛行場でつかまったそうですが、日本人も入っていたとか。
カンボジアの家庭内暴力についても説明してもらいました。
「カンボジアは狭いところにたくさんすんでいるから、ストレスがたまりやすい。また女性は殴られてあたりまえという風潮もある。暴力を受けても、それが法律に違反するものだという認識がないこと。経済的な理由でけんかになることも多いです。この2週間でも6人保護されてきました。17歳くらいの女の子ですが毎日暴力を受けていました。最初はお寺などに避難してきます。」バンさんは、「農村の方が貧しく、子どもも多いのです。食料もたくさん必要になりますから子どもを外に働かしに行く。他の人からの助言にも耳をかさないのでだまされることも多いのです。彼らの考え方も、明日のことしか考えない。そのために子どもを売ってしまうのです。」
「地域の村長や警察などの行政関係者への権利教育に力を入れています。」
私たちに何ができますか?
「活動の資金面はありがたいですが、子どもの権利を学べるような本があればほしいですね。子どもたちが使える本もあればいいです。運動設備があればいいんですが、ボールとかは壊れてしまうのでそういったものや、」運動ができる道具が助かります。ここの子どもは外で遊んだりするのが好きなので。
それから、ここは電気が停電することも多いので、発電機がほしいです。それから、2段ベッドもあればもっと多くの子どもを引き取ることができるのです。」

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トレーナーの方。
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ここのセンターでは生地も自分たちで織ります。
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すてきなバッグを作っていました。お!中にはかえるが!!
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by kuroyonmaki | 2008-11-08 13:22