中東を拠点に国際協力の分野で活動する佐藤真紀のオフィシャル・ブログ コメントはkuroyonmaki@yahoo.co.jpまで


by kuroyonmaki
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

<   2008年 08月 ( 5 )   > この月の画像一覧

雨が続きます

東京は雷と雨。
なんだか、空爆されている感じがして、雷が来ると落ち着かない。
これで、夏も終わってしまうのだろうか。

来週からオーストラリアに行くことになった。
イラクから難民としてオーストラリアにいった家族のフォローアップである。
シドニーに今年の4月に移住した心臓病の女の子ヌーランのサポート体制をつくりに行くというのがそのミッションだ。

そしてメルボルンにもいければ、2006年6月に移住した家族にもあいたい。
ランダちゃんはTBSのニュース23でも取り上げられました。
b0041661_5451559.jpg

http://www.jim-net.net/media_data/photos/atone05nov_1.jpg
[PR]
by kuroyonmaki | 2008-08-30 05:48 | 日本でのイベント

今日は運営会議

先週の金曜日に帰国した。
すぐに、福岡に飛んでの講演会。
1997年ころにパレスチナで知り合った友人が企画してくれた。昔話で盛り上がるのはいいなあ。
帰国したばかりでJIM-NETでの広報もあまりできなかったけど、少人数ですがいい集会になったなあと。チョコ募金に協力を申しでてくれた学生さんもいて、うれしかった。
そして、東京に戻ってくるとペシャワール会のボランティアがアフガンで殺されたという。
残念だし、悔しい。論調は、イラク人質事件のときとは違ってバッシングは今のところないようだ。
産経新聞は次元が違うという。
しかしなんだろう。それを言うのなら当時のマスコミの幼稚な振る舞いも特筆すべきかもしれない。

アジアのノーベル賞」と呼ばれるフィリピンのマグサイサイ賞を受賞している中村哲さん(61)は、1984年から、アフガニスタンとパキスタンの国境付近で、主にハンセン病患者の診療にあたってきた。

 ▼やがて、医療活動だけでなく、農業支援や水源確保に乗り出す。2000年夏からの大干魃(かんばつ)を目の当たりにして、病気の蔓延(まんえん)を防ぐには、清潔な飲料水と十分な農業生産を確保することが先決だと悟ったからだ。「百の診療所よりも一本の用水路」が合言葉になった。

 ▼中国には「水を飲むときには、井戸を掘った人を忘れない」という意味の言葉がある。日中国交回復の実現に力を尽くした人々をたたえる際に使われた。中村さんたちは、文字通りアフガンの人たちのために井戸を掘った。その数は1500本を超える。

 ▼徹底的な現場主義を貫く中村さんにあこがれて、多くの若者が集まった。動機はさまざまだったが、口をそろえて「現地に来て初めて人の情と絆(きずな)に触れた」「汗を流して働くことの嬉(うれ)しさを知った」と述べたという(『医者、用水路を拓く』石風社)。

 ▼2003年12月から、中村さんの活動を支援する「ペシャワール会」に参加した伊藤和也さん(31)もその一人だった。故郷の静岡県で農業を学び、現地では、米や大豆、茶などの普及に取り組んだ。現地語にも堪能で、住民の信頼も厚く、娘の婿にという話まであったらしい。

 ▼4年前にイラクで拉致された若者たちの幼稚なふるまいとは次元の違う、プロの仕事ぶりだった。治安の悪化は想像をこえる。事件を回避できなかった関係者の衝撃は大きい。「アフガンの土になってもいい」。そんな息子の熱意に打たれて、送り出した両親の悲痛はいかばかりか。
[PR]
by kuroyonmaki | 2008-08-29 02:06 | 日本でのイベント

ドバイ

ドバイの飛行場。
今回の旅も前半はまったりしているかと思ったが気がついたら一気に駆け抜けていた。
というのも思わぬチャリティ.イベントをやることになったのだ。
ヨルダンには、結構画廊があって、それも日本とは違ってゆったりと絵を楽しめる。一方で美術館というのがない。
先週ふらりと画廊に遊びに行った。
前からサブリーンの展覧会をやりたかったのだが、実現せず。
今回は、ウードを弾く人でも紹介してもらおうとおもってふらっとたちよったのだ。アンマンのJIM-NETで最近始めたのが、「マタアム・サラタン」日本語に訳せばガン・レストラン
イラクのガンの子どもたちの治療費などをチャリティ・ディナーで集めようというわけ。
ちょうど、事務所の中庭が結構広いので、夏場だけの屋外レストラン。
でも外国はこういうので何百万も集めるらしい。
それで、日本人の友人知人に集まってもらい、毎回イラクのおばさんがケータリングしてくれるイラク料理を楽しむというわけ。
それほど、知り合いの日本人が多いわけではないがそれなりに皆カンパしてくれる。
ウードを演奏するイラク人でもいれば、もっと人が集まると思ったのだ。
そこで話の弾みに、イラクのガンの子どもの描いた絵を展示して、イラクの家族が料理を持ち寄ったパーティとかできればいいなあという話をしたら、オーナーのマジュルリーンさんが、のりのりになってとんとん拍子、お抱えの作家も派遣してくれてワークショップもできた。
まず、打ち合わせ。マジュルリーンさんを囲んでガンの患者家族が状況を説明。それでますますやる気になり、まずはお絵かき大会。事務所にみんな子どもをつれてきたのでさながら幼稚園のよう。ただ、そんなにいいえがかけるわけではなく、こんなんで本当に買ってくれるのかなあと内心ものすごく不安であった。
キングフセインがんセンターに協力してもらい集まったお金は医療費にと思っていたが、フセインセンターとしては、一度のイベントやるからには100万規模の募金がないと動けないという。

日曜日画廊に展示。
知り合いの日本人も8人来てくれた。TVも三社
タッキーがインタビュを受けてイラク中に放映された。

子供たちはといえば自分の絵が売れたかどうか気にしている。
マジュルリーンさんはまるでサンタクロースのように、子どもたちの願いをかなえるべく絵を売りさばいて行った。全部で40万円くらいは集まっているみたい。

みんなで助けあうことの楽しさ。
団体がどうのとかそういう枠を言っている場合じゃないと思う。
ヨルダンで大きな可能性を見出し、私もタキも意気揚々。
ARTっていうのはこういう風につかうんだよな。

翌日僕らはシリアに行ったのだが、イラクのマーゼン医師からメール、TVを見た。日本人がイラク人以上にがんばっている。ありがとう!とのメッセージ。
[PR]
by kuroyonmaki | 2008-08-22 05:03

アメリカヘ行く難民

最近ヨルダンを去っていくイラク難民が多い。
喜ばしいことだけどちょっとさびしいのも現実だ。
8月14日、スレイバニ一家が、アンマンを去ることになった。
行き先はカンザスだそうだ。難民問題は政治的な問題だと思っている。UNがよく、 most vulnerable という言葉を使うけども、共産主義者がかつてソ連に亡命したり、ソ連からアメリカに亡命したり、そう言う文脈が難民の受け入れだ。
人道主義とか、the most vulnerable な人はどうしても二の次。この競争率を勝ち抜くためには、今回、アメリカに受け売れられるイラク難民も、アメリカに協力したという前提が重視されているようだ。
b0041661_14261175.jpg


UNの情報では少し古いけど、2007年は年間で約二万人が移住のプロセスにのっかったそうだ。
UNHCR had transferred the files of 20,472 of the most vulnerable Iraqi refugees for consideration by 16 resettlement
主な国です。

the United States(14,798 ) ,while Australia (1,796), Canada (1,512), Sweden (938) and New Zealand (266) are also among the top five receiving countries.
でも実際に年間で移住した人の数は、4,575人主な内訳です。
2,376 to United States, 747 to Canada, 745 to Sweden, 456 to Australia and 122 to the Netherlands.
結局アメリカが一番多いのです。

さて、これまた少しふるい記事ですが
アメリカの前広報担当副国防長官でペンタゴンのスポークスマンであったケネス・ベーコン氏が「レフュジーズ・インターナショナル」の理事長であるジェーソン・フランシスが彼にインタビューした記事があります。

http://sharejapan.org/sinews/200/212/post_132.html
写真はヨルダンで闘病生活を続けていたアハマド君、カンザスへ行くことが決まった。


SI:イラク難民の保護に関して、アメリカやイギリスはどんな対策を取っていますか。
ベーコン:行き場をなくした人々を保護するためにとても十分と言えることはなされていません。アメリカの大統領は、これが問題であることをまず認めなければなりません。アメリカは、アメリカ軍であれ、国務省であれ、民間組織であれ、人道組織であれ、彼らのために働いた人々に特別の義務があります。

 これらのイラク人は、彼らがアメリカと関係を持っていたために狙われてきたのです。彼らは占領の協力者と見なされたので、家を爆破されたり、生命を狙われたり、子供を誘拐されたりしたために家を離れるしかなかったのです。それがどのくらいのイラク人の数になるのか分かりません。しかし何千、何万という個人が、家族が、今ではヨルダンやシリアで暮らしているのです。アメリカへ来たがっている人々は英語を話します。彼らは軍関係者や外交官で、アメリカへの移住を懇願しています。しかしアメリカは非常に少数しか受け入れません。実際スウェーデンの方がアメリカより難民受け入れ数が多いのです。

 この問題には三つの部分があります。したがって、解決法も三つ必要です。最初はもちろん難民をつくる状況の改善です。合衆国政府はこの目標を達成する努力をしていると言っています。しかしイラクの暴力が続く限り、しかもある地域では悪化している現状では、とても成功はおぼつかないでしょう。もしイラク人が自国にいるのが安全だと思わなければ、移動は続くでしょう。これは最初のこの問題への解決を難しくするように思われます。

 イラクの難民危機を緩和する第二の方法は、大勢の難民を受け入れるよう受入国を助けることです。これまでに220万人がイラクを離れました。これはイラクの人口の7%にあたります。正確な数字は分かりませんが、およそ100万人余がシリアへ行ったようです。ある筋では、この数字を150万人と見ているところもあります。しかし100万人がシリアへ行ったとしたら、既にシリアの人口は5%増加したことになります。およそ80万人がヨルダンへ行きました。ということはヨルダンの人口が15%増加したことになります。非常に大きな人口の流入が短期間に起きているのです。この難民洪水がこれらの社会に実際の緊張をもたらしているのです。

 私たちは、シリアやヨルダンがこれらの難民を受け入れるためにアメリカやその同盟国が食料、避難所、学校のための金銭的支援であれ、援助するのは義務であるだけでなく、そこには人道的かつ安全保障上の理由があると主張してきたのです。流入してくる難民はこれらの国々の学校制度を圧倒してしまっています。その結果、難民が学校へ行っても入る余地がないのです。子供たちが学校へ行かず家にいるので、親は働くことができず、そのために生計の問題が生じます。この難民人口への一般的な援助は絶対に必要なのです。

 イラクの難民が直面している苦境を改善する第三の方法は、前に私が言及した、それらのイラク避難民の中の特に脆弱な層に対する援助を通してです。アメリカのために働いてきたイラク人たちには、出来る限り大勢をアメリカやその他の国に移住できるようにする積極的なプログラムがあるべきです。これまでのところ、この再定住の記録はお粗末な限りです。9月30日締めの2006年度に、アメリカが再定住させたイラク人は202名でした。今期、これまでにアメリカが受け入れを許した数は133人だと思います。私たちの主張のために、アメリカの国務省は、2007年2月にイラク難民に対処する特別作業班を設置しました。それでもなお、この特別作業班ができてからも事態は悪化しています。2月に受け入れられたイラク難民は11人、3月に8人、4月に1人、5月に1人なのです。ですから非常に残念な数字なのです。


これを見ればアメリカが起こした戦争で難民になった人に関してはアメリカが責任を持つということ。言ってみれば当然なことだし、きちんとやって欲しい。
[PR]
by kuroyonmaki | 2008-08-16 14:29 | 難民

ブログ再開

今、アンマンにいます。
今年になってから、既に4回目のヨルダン。
日本よりは、朝晩は涼しくて暮らしやすいです。
今まで、ブログを少しご無沙汰していました。というのも、私が事務局長を務めるJIM-NETのスタッフブログとかJIM-NETニュースで手一杯だったのがその理由。
そちらのほうは、他のスタッフにどんどんと引き継いで行こうと思います。
さて、今回の渡航の理由ですが、イラク支援も過渡期になってきていて、現場をしっかりとみていかなければならないなあと思っています。

イラクの治安がよくなる一方で政府の無能力ぶりが顕著になってきているのです。
以下の記事、じゃあ、病院を閉鎖したらどうなるんでしょう。新しい病院?確かにアメリカが一億ドル出して病院を作る計画があります。しかし、これまたベクテルの汚職で未だに工事は進まず、1億ドルはすでに使い切ったとのこと。まあ、なんと言うかあきれてしまいます。
JIM-NETニュースは、加藤君が現地のTVやニュースを翻訳してくれています。是非見てください。彼は、昨日から国際電話で取材を受けていましたので、明日の朝日の朝刊にも載るようです。こちらもお楽しみに!

http://jimnetnews.exblog.jp/バスラ保健局及び委員会 議会でバスラ小児産科病院の閉鎖を求める

バスラでは電気、水の状態が一切改善されていない。特に電気が十分に来ない事で石油に輸出量が半分にまで激減してしまったとイラクのメディアは報じている。
さらに、バスラにあるすべての病院が患者を受け入れるのに適切でないと保健局から声があがり、すべての病院を閉めるよう議会に対して要請が出された。

病院付随の委員会及び、バスラ保健局がバスラ州議会に対し、バスラにあるすべての病院を閉めるように要請を出した。委員会のメンバー アキール・ターリブ・アルファリージーによると「バスラに存在するすべての病院は動物の棲家のような状態です」。加えて「私が見たところ特にバスラ小児産科病院(通称イブンガズワーンホスピタル)、アスカリーホスピタルなどで特にそれが顕著でした。これらの病院は患者を受け入れることができないような危険な状態にあります。現在、バスラには国内的、また国際基準的にも適切な医療の保証ができる病院は一つもありません。また医療サービスの欠如がひどい状況にあり、もし閉鎖しなければ我々は大きな間違いを犯すことになるでしょう。これらの病院はほとんど動物の棲家のような状態なのですから。」また病院の修復に関しては「病院は疲弊し崩壊した状態にあります。これもここ数年間メンテナンスを行っていなかったからです。私が思うに、病院の修繕のための予算計画すらなかったのではないでしょうか。バスラには新しい病院が必要です。これはこれまでに病院建設の計画を立てなかった保健省にこの責任は帰せられます。」
[PR]
by kuroyonmaki | 2008-08-16 13:36 | アンマン滞在日記