中東を拠点に国際協力の分野で活動する佐藤真紀のオフィシャル・ブログ コメントはkuroyonmaki@yahoo.co.jpまで


by kuroyonmaki
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<   2007年 03月 ( 7 )   > この月の画像一覧

バスラ

マハディ軍がバグダッドに戻ったらしい。それでまたバグダッドの治安は悪化しているという。
一方でバスラはマハディ軍がうじょうじょして政府軍とぶつかっているという。
「今日私は、バスラで大きな事故に巻き込まれました。私は、命を失っていたかもしれません。マハディ軍と政府軍が衝突したのです。ちょうどそのとき私は薬を買いに来ていました。私は、3時間、薬局に身を潜めていましたが、周りには血を流して倒れている人や死体が転がっていました。しかし、何とか、薬は病院に届けることができました。」

それから二日たってイブラヒムに電話してみると少しだけ治安は回復したという。マハディ軍がバグダッドにもどったのか?
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by kuroyonmaki | 2007-03-29 04:41 | イラク情報

あれから4年

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3月20日といえばイラク開戦の日。ちょうど4年前はアンマンにいました。戦争が始まるというので友人の協力隊のひとたちは日本へ引き上げ。
朝の5時ごろ、メディアから電話があって攻撃が始まりました。そちらの様子はどうですか?てきかれてもまだ夜も明けてないし、ようやく明るくなってきて、でもそんな朝早く町を歩いている人もいないし、「ヨルダンは静まりかえっています!」というしかなかった。
それで、朝から街中に取材に行ったのでした。
 個人的には負け続けている。
はじめて国際協力で海外に出たのが協力隊でイエメン94年の内戦で追い出され一ヶ月しかいなかった。そして、パレスチナでは2000に一度追い出されてリベンジするけど02年には入国拒否、イラクは結局04年の人質事件で中には入れず。こんな負け続けの人生ってほかにないでしょうね。唯一シリアが2年間平和でまるまる暮らせた国。
というわけで今日は日比谷の野音でスピーチをさせていただきました。いろいろ思い出しましたが、今日の時間は7分にして下さいということで、原稿を書いていきましたが、壇上に立つと原稿が見えない。なんと老眼なんですね。。。情けない。4年の月日の長さです。
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by kuroyonmaki | 2007-03-21 04:20 | 日本でのイベント

報告会をやります。

子どもたちの医療支援とともに私が取り組んでいる活動です。

☆☆★劣化ウラン兵器禁止・市民ネットワーク★☆☆

       結成3周年の集い

 日 時;2007年3月25日(日) 13:00開場 13:30~17:00

 会 場;千代田区立神保町区民館(ひまわり館)2階洋室
         【たんぽぽ舎から5分程度】
 参加費;1000円(資料を用意します)

      ビラ配布、署名、パンフ・書籍の販売もできます
☆基調報告

☆講  演

『クラスター兵器禁止に向けた世界と日本の動き』
講師;北川泰弘氏(JCBL・地雷禁止日本キャンペーン代表)

   ※当初、予約していた韓国の講師がビザが出なくて
    来日できなくなりました。そのため、クラスター
    兵器のテーマを北川講師にお願いしました。

『ヨルダンから帰って(現地報告)』(仮)
講師;原文次郎氏(JVC・ボランティア)

『医療支援の現状と今後』
講師;佐藤真紀氏(JIM-NET事務局長)

☆参加者交流会
2次会をたんぽぽ舎で、17:30~19:30の2時間程度
予定しています。(飲食)

主 催:劣化ウラン兵器禁止・市民ネットワーク
    〒101-0061 東京都千代田区三崎町2-6-2
          ダイナミックビル5F たんぽぽ舎気付
    TEL 03-3238-0056(13~20時) FAX 03-3238-0797
    URL http://www.nodu.net E-mail office@nodu.net
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by kuroyonmaki | 2007-03-20 01:52 | 日本でのイベント

クウェートのインド人

クウェートって言うのは不思議な国だ。なにせ、クウェート人は37%しかいないという。後は出稼ぎのアラブ人、インド人など。あちこちにインド料理+アラブ料理屋があって、これがなかなかインドぽくもありアラブぽくもあっておいしいのだ。
中でもお勧めはブリアーニ。イラクのブリアーニとはちょっと違って関西のうな重みたいにご飯の中に魚とかチキンが埋まっている。
 今回友達の紹介でインド人たちが泊まっている宿舎を案内してもらった。
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イブラヒムも一緒に連れて行ったのだが、あまりの汚さに、イブラヒムは帰るといってホテルに戻ってしまった。クウェートのホテルは高いので有名。大体100ドルはする。僕たちが泊まっていたのは、二人で、8000円くらいの、ホテルアパートだった。結構二人で泊まると安いなあと喜んでいたが、インド人ご用達の宿泊所は一ヶ月で8000円程度だという。ベッド一個を借りるという感じ。インド人は、タクシーのダライバーや、クウェート人の召使として働いているが、最近はイラク国内の米軍基地で働くのを希望する人も多いらしい。街中に求人の張り紙が張ってある。
UNHCRが最近シリアやヨルダンにイラク難民が増えているとして支援を要請しているが、こちらは、アジア系の貧しい労働者が危険を顧みずにイラク入りを目指している。
クウェートはどうだい?ときいてみたら、「正直な雇用者にめぐり合えればラッキーだ。中にはだまされてつれてこられるケースもある。そなると最悪だね」という。
ヨルダンのイラク難民と、外国人労働者を比べてみたくなった。
ヨルダンのイラク人には、難民といいながらも、最近は結構小金もちも多くて、実はUNが言うほど大変な感じはしない。貧乏なイラク人は入国もできないのかもしれない。イラク戦争前は、クウェートのインド人的なイラク人も結構いた。男たちで薄汚い小屋で4人くらいが寝泊りしていたり、屋上の小屋にいて警察の手入れがあったときに、ビルからビルに飛び移ったときに滑ってしまい、かべに手をかけたまま、ずるずるとしたまで落ちたので、手の皮がずる向けになったとか言うイラク人に会ったりもしたが、最近はそういうイラク人は減って、なんとなく金持ちのイラク人だけがヨルダンに残れるようだ。それで、インド人やスリランカ人などのメイドを彼らが雇っていたりする。この人の動き、なんだか複雑だ。日本政府はサマワで述べ91万人の一日の雇用を生み出したとしている(今年の3月末までの推測)確かに雇用創出なら、戦争は大きな貢献に繋がる。日本の経済の復興は朝鮮戦争の特需だった。そして、工場とか作ればそれまた雇用創出。NGOには、一人雇うのも大変なくらいだから、雇用創出なんてできない。NGOに解決できることとそうでないことがあるから、それはそれで領域の範囲でしっかりとやればいい。最近気になるのは、境界があいまいになっていること。時に自衛隊派遣で、NGOにはできないから自衛隊とか、NGOにできるから自衛隊はやらなくてもいいとかそんな議論が目立った。そら、NGOだってお金もらえば、たくさん学校作れるかもしれないし、病院を作ったりもできるかもしれない。しかし、NGOはゼネコン化する必要はないし、コンサル化することもないだろう。そして、軍の人道支援の一方で、武装化したNGOとか、民兵もNGOといわれるのかな?
飛行機でクウェートからアンマンに行く途中、インドネシアの女の子たちの集団にあった。ヨルダンで働くそうだ。イラク人のメイドになる人もいるのかな。前回は、中南米のおっさんのグループに出くわしたが、英語はまるっきりしゃべれないのにアメリカの国旗のついたバッグを持っていた。彼らはイラク駐留の米軍基地で働くらしい。
国連なんかが騒いでいる表の難民という人の動きと、外国人労働者という闇の人の動き。
すれ違いながら、絡まったりしているのが今の世だ。
 
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by kuroyonmaki | 2007-03-11 04:34 | アンマン滞在日記

イラク医療復興会議

今回の出張はなんだかかつてないくらい沈んでいた。
結構ストレスがたまっているのか、体中に蕁麻疹のようなものができている。
要するに、人間、何をテーマにして生きていくかだろう。それがはっきりしていれば、元気にやっていける。
イラクを見てみよう。NGOを見てみよう。そこには、本当にテーマがあるのかって疑問がわいてくる。かっこいいことはいえるけど、人生そんなカッコいいことばかりじゃない。それなのに、カッコいいことばっかり言おうとしている。
どうやって、カッコ悪く生きていくかっていうのも美学かもしれないな。

イブラヒムとクウェートで再開した。
彼は、たくさん写真を撮ってきてくれて、だらだらと説明する。
子どもの絵をもってきてだらだらと説明する。
おかげでだらだら、だらだらとしてしまった。

クウェートそのものがだらだらしているかもしれない。
実は1000人ものイラクのドクターを招聘してカンファレンスをするというのがこのイラク医療復興会議。でも結局はイラクのドクターは数人くらいしかビザがおりなかった。こんなのありだろうか?始まる時間もスケジュールもめちゃくちゃ。
そもそも、イラクの復興そのものがだらだらしている。一体もう何年たつの?4年も戦争やっているのか?

今、一番ホットな話題は、バスラにアメリカが支援して子ども病院を作ると言うもの。
いったん汚職で頓挫したこのプラン。本格的に再開したみたい。
で、プロジェクト・ホープというNGOがやっている。
ゼネコンに任せておいたんじゃお金がどんどん消えていくばかりというわけか?ちょっとぴりっとしてきたテーマかな。

あっという間に3月になってしまった。光陰矢のごとし。うーん新しい年度が始まると言うのに、今年度のテーマが決まらない!テーマはあるんだけど、調整が難しいのが、これまた人生。
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by kuroyonmaki | 2007-03-05 09:32 | アンマン滞在日記

チェニジア

アンマンに来てからというものどうも体調がよろしくない。花粉症もあるし、偏頭痛も時たまして、これは年のせい?まあ、人生そういう時期もあります。さて、3月の初めの日、アンマンのインターコンチネンタルホテルで開催されている川口さんの個展会場で画廊のオーナーと待ち合わせ。川口さんの作品は緑がとてもさわやかで、フレッシュな気分になれます。
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この日はオーナーの友達がイラク人でがんの子どもを助けているから是非そうだんにのってほしいといわれていたのでした。
私もどうしたものかあまりよくわからず、どうもその人はタマラというイラクじんなのにやたらと英語がうまく、西村さんもそういうイラク人を知っていてもしかしたら同じイラク人かもしれないといっていましたが、どうも私はタマラという名前に引っかかりがありました。どこかで聞いたような名前。そりゃそうです。タマラなんて名前の人はたくさんいるから。でもなんとなく聞いたような声というか。。。
やってきたのは、とても上品そうな人。何でももう1970年代からヨルダンで暮らしていて、サダムのころは反体制派の亡命イラク人を支援したりしてきたそうですが、今はそういうのがなくなったので、ヨルダンに出てきたがんの子どもを支援しているとか。
まあ、僕らもお金を寄付することはできないけど、アンマンでたとえばイラクの子どもの絵画展やって、募金箱おいたらどうだろうね、集まったお金は全部寄付するから。そういうイベントだったら協力できる。というような話をして、サブリーンのポストカードを見せました。
するとタマラさんは「私もイラクの子どもたちの絵を集めてましたよ。貧しい子どもたちにクレヨンを上げたりして。2003年は一年間イラクに住んでたんです」
「え!、あ!タマラってあのときの!」
そう、私は、イラクにかかわったきっかけは、アートだたのです。バビロン音楽祭にもぐりこんだときの担当がイラストレーターで文化省で働いていたネダさんというちょっとがめついおばさんだったのです。彼女のコーディネーションで戦争間にはイラクの子どもたちの絵をたくさん集めるころができました。戦争が終わって、偶然、彼女と再会できたら、NGOで働いているとかいって、結構いろんな人を紹介してくれました。プロジェクトやろうという話もありましたが、結局うやむやになってしまったのでした。ネダがなんだか金持ちのヨルダン人を捕まえたとか騒いでいて紹介してもらったのがタマラさん。チェチェン地区というバクダッドの貧困地区を案内してくれてそこの子どもたちに一緒に絵を教えたことがありました。
こんなところで再開できるって言うのがふしぎ。イラク戦争から4年目になるのですが、ちょうどこのころインターコンチには世界中からマスコミやNGOの人たちも集まっていてなんだかいろんなことを思い出してしまいました。ちょうど、NGOの危機管理研修のレポートを書いていて、イラク戦争の時どのように危機管理しながら動いたかを書いていたところだったのでなおさらこのタイミングには驚きました。僕たちは、イラクの子どものポスター展をやろうと約束しました。
一体ヨルダンでいくらくらいお金が集まるか楽しみです。
 その夜、これもずいぶん、前に、私も協力隊とか国連ボランティアだったこともあり、JICA関係者に実は知り合いがたくさんいたりします。そのなかでチェニジアのJICA職員の方と個人的にお食事をご一緒したことがありそんな関係で、今回たまたまヨルダンにチェニジア人をつれていくのでJIM-NETの話なんぞをしてほしいといわれたのでした。
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たまたま、イラク人ドクターからバスラに新しいがんの病院が2009年にできるという話を聞いていたのでそんな話も紹介すると「どうして、こんな危険なイラクで病院を今作るんだ。壊されてしまうだけじゃないか」という質問。
確かにそうかもしれませんし、別に僕らが作るんじゃなくてアメリカ政府が金出したわけだからいいのですが、まあ、バスラは比較的安全かも知れないし、今あるがんの病院だって建屋が狙われるよりはむしろ宗派対立という文脈にはめられて、ドクターが狙われています。実際この病院は汚職が問題でいったん中座しちゃったわけですけど、2009年に病院がオープンするのとまったく新しい病院ではなくて今まであったがんの病院がそっくり移ってくるから、今ぼろい病院で働いているドクターたちが目標を持って、前向きに動き始めたことは評価すべきだなあと思うのです。絶望の中にも希望を見出したという感じです。
最後にチェニジア人がコーランの言葉を引用。『一人を救うものは人類を救う。一人を殺すものは人類を滅ぼすものだ」ちょっと、ニュアンスが違うかもしれませんが、こんな風に聞こえました。僕たちのやっていることは小さいことでも、あきらめないで続けること。ちょっとでも救いになればそれは役になっていることなんですね。たとえば、100万円必要な患者に1万円しか上げることができなくて、患者の家族は文句を言うかもしれません。でも文句言われたって1万円は、役に立ったことは事実です。僕たちは別に、彼らから感謝されるためにやっているのではないんだから、それだっていいんじゃないかなと、元気になってきます。
チェニジアの人たちに元気付けられた一日でした
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by kuroyonmaki | 2007-03-03 07:24 | アンマン滞在日記

井下医師

2月26日、井下医師がアンマンにやってきました。
私は、飛行場まで迎えに行ってきましたが、これがまた大雨。井下さんは昔から、雨男ですね。
早速、この日はバスラからやってきたジナーン医師との打ち合わせ。
彼女はスペインで行われる、「紛争が子どもに及ぼす影響」のカンファレンスに参加するためにヨルダンに出てきました。
 昨年9月のジムネットアンマン会議には、不参加だったために久しぶりです。
子どもたちが、内戦の影響を受けて、ロールプレイをして遊んでいたり、院内学級の子どもの絵にも戦車や戦闘機を書くものが増えているそうです。
ちょうどジナーン先生がアンマンに来る直前に、病院で小火がありました。
朝、病院にジナーン先生が行くと煙が黙々と出ていました。
あわてて、支持を出して、ドクター・ムハンマッドたちが子どもを抱っこして外に連れ出したので、事なきを得て、誰もけが人がいなかったそうです。
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2月21日早朝、バスラの小児産科病院で火災が発生しました。
現地のイブラヒムによると医師の8部屋がダメージを受けたとのことです。
火災の原因は、電気系統によるもので、今のところけが人はないとのこと。
イブラヒムの写真を見て攻撃を受けたのかと思いましたが、どうも電気系統のトラブルで出火したみたいです。けが人がいなかったので何よりでした。
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ちょうどバスラから、今度新しくできる「バスラ子ども病院」のダイレクター、アハマッド医師も着ていたので今後の計画を聞いてみました。なんと、アメリカのベクテルの汚職で頓挫していた新しい病院の建設が再開するようです。09年営業を目指しているとのこと。いろいろ問題のある案件ですが、われわれが少しでもポジティブなイメージをもてるのはいいことではないでしょうか?

さて、私と井下医師は明日からクウェートで開催される、イラク復興医療会議に参加します。
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by kuroyonmaki | 2007-03-02 07:17 | アンマン滞在日記