中東を拠点に国際協力の分野で活動する佐藤真紀のオフィシャル・ブログ コメントはkuroyonmaki@yahoo.co.jpまで


by kuroyonmaki
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カテゴリ:アンマン滞在日記( 62 )

ゼイド君に面会

今回支援をしたゼイド君に面会。
ゼイド君はファルージャ出身で現在3歳。父はエンジニアをしていますが、戦争で家が攻撃されたこともあります。バグダッドのセントラル子ども教育病院に行きましたが、治安が悪く、いっそヨルダンで治療できないだろうかと、アンマンに出てきました。父は、仕事のためファルージャに留まっています。家族がなかなか会えず、母親も不慣れなヨルダンで子育てと治療を行なっています

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by kuroyonmaki | 2012-04-27 22:20 | アンマン滞在日記
JIM-NETのこれまでのヨルダンでの患者支援は、2008年から始まり4年間で合計99744ドルになりました。支援した患者数は17名です。
残念ながら、5名が既に亡くなりました。
 キングフセインガン基金の事務局長を務めるディナ王女と打ち合わせ、今後の支援について話し合いました。私自身が、王女と初めてお会いしたのは、2007年です。
その頃は、サッカーの日本代表だった中田英寿さんが引退し、世界を旅している最中で、ヨルダンを案内して欲しいということになり、キングフセインがんセンターを案内しました。そこで、出迎えてくださったのは、デイナ王女です。
その当時は、キングフセインガンセンターにイラクの医師や看護師のトレーニングをお願いしており、井下医師がヨルダンに常駐して、専門的な情報をやり取りをしていて、キングフセインがんセンターが主催する学会の資金提供(イラク人医師の参加に要する交通費など)をしたこともありました。
ディナ王女にお会いして、イラク人の患者の治療費を集めている基金があることを知りました。ヨルダンに事務所を構えていたJIM-NETには、イラクから治療に来ている患者が訪ねてきて、治療費や生活費の援助を求めてきました。
最初は、生活費の一部の支援を行っていましたが、肝心な治療費が底をつくと治療が続けられません。そこで、2008年から、キングフセインガン基金を通して治療費を一部負担することにしました。多くはイラクで治療が受けられない骨髄移植です。ヨルダンでも治療費は1000万円以上かかります。なかなか私たちもひとりだけの子どもにこの金額を提供する事は難しいのですが、皆で少しづつ出し合うことで、可能になるのです。
キングフセインがんセンターでは、治療のおかげで一命をとりとめた子供たちが1000人に達したそうです。
「1000人の患者が助かったということは、ひとつの証ではなく、ガンが克服できるという1000の証なのです」
しかし、5人の患者が命を落としました。特にラーラは、2004年からの付き合いでした。
「最初から難しいのはわかっていました。私たちは、彼女の命を助けられなかったけれど、彼女を含め、家族らには、「希望」を与えられたのではないかしら」
それは、生きる希望というより、このように生まれてきて良かったという希望なのかもしれません。
「私たちは、日本が大変な状態だということを知っています。そんな中で、支援をしていただき感謝の気持ちでいっぱいですが、それよりどうやってお金をあつめたのですか」
そこで、私は、チョコレート募金の話をしました。
「確かに最初は、イラクの募金は集まらなかった。しかし、チョコ募金がうまく行ったので、何とか今年も支援が続けられたのです。絵を書いてくれたのは、ガンを克服したハウラという女の子です。
成功の秘訣?それは、サバイバーのハウラの気持ちがみんなにつたわったのでしょう。
ガンが克服できるという証、それは、みんなが少しずつ力をあわせないと達成できないのです。」

今回は、展覧会をヨルダンで一緒に開いている川口ゆうこさん、相澤恭行さんらと同行。
ディナさんは、以前にもまして、パワフルでした。そして何よりも驚くほど気さくなお人柄に改めて感動。ご主人のミラド王子は、地雷廃絶に世界を駆け回っていらっしゃいます。
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by kuroyonmaki | 2012-04-27 22:06 | アンマン滞在日記
ヨルダンは、現在96%の電気を海外からの化石燃料に頼っている。
2035年までに4基の原発を建設し、60%の電力を創出する計画である。第一基の原発をどこが受注するかに注目が集まっている。入札に参加しているのは、ロシアとカナダ、そして三菱とアレパの合弁会社だ。日本は、原発輸出を国是として掲げてきた。中東で原発建設の計画が盛んになって来ている。しかし、UAEでは、米国と組んだにもかかわらず、韓国に持っていかれた。ヨルダンは落とせない。そんな時、福島原発が事故を起してしまった。それでも、政府は、原発を売ろうと躍起になっている。ヨルダンは7月には最終的に受注を決定する。果たして日本は落札できるのか。

 4月20日、ヨルダンの首都アンマンを北東に50km、マフラクという町がある。原発立地予定地だ。シリアへ向かう街道沿いにあり、最近はシリア情勢の悪化により避難してくるシリア難民があふれているという。私たちの車は、金曜の8時にアンマンを出発したが、45分で到着した。
 地元で原発誘致に反対しているという団体「アリハムーナ」に話を聞いた。
ターリクさんたちは、原発が誘致されることを聞いて、2011年2月に反対運動を始めた。最初は6人だったが、今では3600人の仲間達がヨルダンにいるという。
ベースは、マフラクの青年同盟である。
「マフラクの住民は全員が原発誘致に反対しました。最終的には国王がやってきて、話を聞いてくれた。そして、マフラクの住民が厭なのなら原発はここには作らないといってくれた。そして、一ヶ月半くらい前に政府は正式にマフラクに原発を作ることを断念したのです。」住民運動の勝利だ。
 現在ヨルダンの国会議員は、120人いるが、63人は原発に反対しているという。
ヨルダン政府は、「エネルギーを海外に頼っている。自前のエネルギーを確保しないと経済成長は見込めない」という論調だが、疑問を投げかける人々も増えている。福島の事故と、ヨルダンに世界の2%のウランが埋蔵しているといわれてきたが、事実でない事がわかってきたからだ。そして、イスラエルとの関係も微妙だ。イスラエルは、福島以後は、原発を作らないことを宣言しているが、1980年代にフランスから核施設を導入し、兵器を作ってしまった。その後イラクが原子炉の建設を進めると、イスラエルは、81年に空爆。最近では、シリアが核開発の疑惑があるとして2008年にデリゾールを空爆しているのだ。ヨルダンも核兵器をつくろうものなら、空爆される可能性もある。ターリクさんも、イスラエルが攻撃してくることを恐れていた。
 -反原発を掲げて、ヨルダン政府の圧力はないのか?-
「内務省も、警察も、国会議員も味方してくれた。原子力省のハリッド・トゥッカーンは、フランスのアレパとの結びつきが強く、もうけようとしている。国王は、この問題に関しては、中立を保とうとしていて、国会などの民主的なプロセスをあえて重んじている。公式には、原発に、賛成、反対は表明していない。」
-ヨルダンでは原発を受け入れると、地域にお金が落ちるというような話はないのか-
「そんな話は聞いていない。日本ではそんな事があるのか?」
-なぜ住民運動が勝利したのか-
「1.すべての議員に意見書をだして、関心を持ってもらった。2.マフラクの人たちと勉強会、説明会を根気よくやってきた。そしてポスターを作って町のあちこちに張った。3.警察に行って、私たちが原発に反対していることを訴えた。
4.すべての環境団体、人権団体などにも協力、連帯を求めた。5.メディアに取り上げてもらった。6.政府の説明会や勉強会には、必ず顔をだして、反対を訴えた。
日本大使が現場を視察しに来た事があった。25人のマフラクの人たちが集まってきて、日本語で、原発反対と書いた紙を持って訴えた。大使は、どうして、自分達の視察をマフラクの人々が知っていて、しかも日本語で訴えてきたことにびっくりしていた。
やはりこのように私たちの運動が盛り上がったのは、福島の事故が大きかったと思う。Facebook に記事を書くと、多くの人たちがコメントをくれたことも勇気づけられました。
-マフラクには原発を作らないことが決まった。アリハムーナとして次の計画は?-
「政府は原発そのものを諦めたわけではない。カラックの近くのコトラーネという場所が次の候補になっている。我々は、コトラーネの住民の反対運動を手伝う。」
-日本に向けたメッセージを-
「福島で起こったことに私たちも深い悲しみを感じています。日本の皆さんは、落ちこまないで欲しい。あなたたちは、経験が多く、みんなで協力することでこの困難を乗り越える事ができる。ヨルダンと日本は、今まで強く結びついてました。マフラクという小さな町にも、日本からボランティア(協力隊)が30年間も来てくれています。私たちに出来ることがあれば協力したい。そして、原発が、私たちの自然や、生活を壊していくことを、ぜひとも阻止しなくてはいけないし、日本とヨルダンの人々の関係を壊して欲しくないのです。」
ターリクさん
このポスターを町中に貼ったという。
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by kuroyonmaki | 2012-04-21 13:20 | アンマン滞在日記
ヨルダンで企画展示「大津波の後で」がはじまりました。

 4月17日、ヨルダンの首都アンマンにある画廊、ダールアンダにて日本人の企画した展覧会が始まった。
企画したのは画家の川口ゆう子と佐藤真紀(JIM-NET副代表)
川口が佐藤に「ヨルダンの人たちに日本の現状を知ってもらいたい」と相談した。
今年行なわれた脱原発世界会議で福島の写真を展示したところ、海外でも展示したいとい声があがった。既に、ドイツや、イタリアでの展示が実現している。しかし、不安もあった。脱原発、反原発の政治的な展示になってしまわないか?
今回は、アーティストとしての川口がヨルダンでどう見られるかということもあった。彼女はヨルダンで過去2回個展を開催し、作品は、国立美術館や高級ホテルが所有している。
ヨルダンは、これから原発を作ろうとしている国であり、しかも日本の三菱が積極的に入札に参加している状態だ。
「僕たちが、原発に賛成とか反対とかをあえて言う必要はない。311後の人々がどうやって生きていこうとしているのかをそのまま出せばいいと思う。ヨルダンは福島に医者を送ってくれた。イラクの人々が日本を励ましたりしてくれている、そういう絆を再確認するような展示がいい」
そして、イラク支援にかかわり、イラク人アーティトを日本に紹介してきた相澤恭行にも声をかけた。彼の父、一夫は、気仙沼に暮らす画家だ。津波が家のすぐ下まで押し寄せた。今回、スケッチを何枚か提供してもらうことになった。
 
展示は、相澤一夫の津波のスケッチと相澤恭行が写した写真。
そして、佐藤真紀が福島原発の事故後に福島で暮らす人たちの写真。放射能により日常がうばわれてしまった。
そして、川口は、日本が戸惑いながら、何とか希望を見出そうとしている複雑な感情を沖縄の月桃紙に墨で丁寧にアートにしていった。

初日、50人以上が駆けつける。画廊という場所もあり、多くは芸術を愛する人たちだった。「繊細な作品ですね。私たちアラブにはない繊細さだと思います。日本でおきたことは、悲しいですが、改めて日本人のすごさを感じます」医師
アンマンの美大生は、
「福島のこども達の笑顔から感じ取れるメッセージは、今というよりもこれから良くなっていくんだという強い希望ではないでしょうか。」と感想をのべた。
ヨルダンに滞在している邦人も駆けつけ、日本の歌を披露。ヨルダン人の心をとらえた。
会期は30日まで ギャラリー Dar Alanda 10:00-20:00(14:00-16:00昼休み)金曜は休み お問い合わせ +962-79-9458037(佐藤)
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川口さんと
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by kuroyonmaki | 2012-04-18 13:38 | アンマン滞在日記
アンマンに着いたら意外と涼しい。風邪ひきそう。ワールドカップをみんな見ていて、昼間飯を食いに行くと、おっさんたちがイングランドVSドイツ戦を観戦。
夕方にはアルゼンチン vs チリ戦、僕は、丁度飛行機でアルビルに向かうので、果たして見れるかどうか。今回、日本から薬をアルビルに届けるミッション「神の手」作戦。
しかし、しょっぱなからトランジッドのヨルダンの飛行場でひかかる。
一旦、荷物は、飛行場の税関あずかりになり、出発する際にピックアップすることに。
トランジッド時間は、12時間以上あるので、一旦アンマン市内のJIM-NETの事務所で休むことに。
早めに飛行場にいったのだが、税関のおっさんがはしゃいで、「日本強いなあ。ホンダ!車もつくってるんだなあ。おれは、トヨタのほうがすきだけどだあ。」「今、アルゼンチンが3点とったぞ」
なかなか書類にハンコを押してくれないので荷物がピックアップできないではないか!
飛行機の搭乗時間も間近に迫り、はらはらするが何とか滑り込みで薬をピックアップ。アルビルまで無事に運んだが、今度は、アルビルの税関で差し押さえ。保健省のレターを見せるが、検査をするので数日保管するという。というわけで、いまだ、「神の手」ゴールは決まらず。

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さて、今日はいよいよ、日本VSパラグアイ
いま、滞在しているホテルはネット環境が悪いので、今日は、ネットカフェに行って、ワールドカップで盛り上がる人たちを中継します。
http://blog.livedoor.jp/jim_net/archives/51489702.html
ちなみに、このボールは、川島 永嗣さんからいただいたボール。ピースボートが昨年、イラクの子どもに上げてくださいということで、ヨルダンまで持ってきてくれました。難民キャンプや、都市難民の子ども達に上げましたが、一個だけ事務所に残っていたものです。
今回は、川島さんが大活躍でうれしいです。
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by kuroyonmaki | 2010-06-29 13:33 | アンマン滞在日記

学校

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アルワリード小学校にて

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夢は法律家になって、クルド人の人権を世界に訴えること。
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by kuroyonmaki | 2010-02-28 18:01 | アンマン滞在日記
ユーセフ・アブド・フダイエ君は13歳です。 骨ガンをわずらい、2回の手術をおこないました。2009年から化学療法を始めましたが、2009年の終わりにガンが再発
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今年1月10日になくなりました。
彼は農家に住んでいます。彼の家を訪問すると、近くにはたくさんの戦車が捨てられていました。父親は、アメリカが2003年にDUで攻撃したといいます。なぜそうおもうのか家族に聞いたら、戦車が爆発するときの炎が青かったからだといいます。
ユーセフ君は7人兄弟だったが、現在弟のアバース9歳が白血病で苦しんでいる。2008にケモ。まだつづけています。
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私は、この一家がガンでくるしんでいるのは、劣化ウラン弾だと思います。原因が劣化ウラン弾だということが科学的に実証されていないのは知っています。
でも、科学者が、劣化ウラン弾が安全だということを実証してくれれば、私はそれを信じます。
ここでこうして、くるしんでいる人の話を聞いていると、科学者がきちんと、劣化ウラン弾は安全だということを証明してくれない限り、やっぱり劣化ウラン弾だと思ってしまう。非科学的といわれようが、思ってしまう。
その気持ちがわかるでしょうか?
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by kuroyonmaki | 2010-02-22 02:55 | アンマン滞在日記

会議無事終わる

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2日間にわたる第九回JIM-NET会議、無事に終了しました。
まず写真は、「JIM-NETが科学的、技術的なインプットが出来ないならかかわる意味はあるのだろうか」と問いかける井下医師。今回は、信州大学から坂下先生と重村先生の参加もあり、学会のような進行ですすみました。
参加した日本人も、イラクの医師たちの発表が予想以上に洗練されていたことに驚きの声。
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JCFから送られた、血管を浮き出させるライト。こういう簡単な器具もイラクにはありません。
最終日は、先日JCFの招聘で来日したバグダッド子ども福祉教育病院のマーゼン医師が、日本での研修での体験を紹介。いかに日本がきれいかを、イラクと比較しての紹介。
続いて、リカー先生が、現在信州大学で進めている遺伝子解析の経過を報告。
信州大大学の坂下医師からは、日本における急性リンパ性白血病の治療方についての発表がありました。
日本とイラクがぐっと近づいた気がしました。
イラクの医者が日本にやってくることで、考え方の違いや文化などもお互い理解し始めてきて、いい関係が築けてきたという感じがします。
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バスラのジナーン先生は、JIM-NETのローカルスタッフのイブラヒムの活動を紹介。それぞれの病院からもイブラヒムが欲しい!との要望が殺到。イブラヒムのクローンを作ろうという冗談も飛び交いました。
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by kuroyonmaki | 2010-02-20 16:27 | アンマン滞在日記

シンデレラ

いよいよ、ムハンマド君がイラクに帰国します。
西村さんは前の晩からいろいろ手伝って大変。
私は、8時ごろ、見送ろうと待機していましたが、運悪く日本から電話。
西村さんか「早くしないといっちゃうよ」との電話。あわてて飛び出すも、既に車が出発。
そこで、西村さんに昨日からの感動的なシーン再現してもらいました。

昨晩、11時ごろ、西村さんが呼ばれていってみると、お母さんがうれしそうに、靴を見せてくれました。なんと7.5センチのヒールです。「転んだらどうするの、運動靴で帰ったら」と西村さんが諭すと、「あなたは、こういう靴を履いたことがないの?」と逆に白い目でみられたとか。確かに、西村さんがこういう靴をはいておしゃれしているのを見たことはないですね。
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(写真提供:西村陽子)
西村さんに、与えられた課題は、怪我をした方の足が、腫れ上がって入らないのをどうするかということです。そこで、靴を足で踏んで、ゴムで縛り、古靴下をかぶせるという方法をとりました。
イラク人は、旅に出るときは、精一杯のおしゃれをします。なぜか不思議ですが。
アファークの打ち合わせをしようと思ったら6歳のお姉さん、シャヘッドがおきてきて騒ぎ出した。こんどは、2歳のミードが起きて大騒ぎ。
 結局鞄を詰め終わったのが5時。お母さんはダウンしてソファで寝てしまい、子どもたちは、日の出を見て、「太陽が出てきたよ」とこれから旅に出るので興奮しているもよう。7時になっても、お母さんはなかなかおきてこず。
なんやかんやいっても別れのシーンは、感動的で、やはり、涙がちょちょぎれます。
朝の8時に、車が迎えに来ることになっていたので、私も感動的なシーンを一目見ようと待機していましたが、そんなときに限って、日本からの電話です。あわてて、外に出ると、既に車が去っていきました。
西村さんに様子をうかがうと、
「センチになっているような余裕はなかったですね。お母さんは、最後日本語で「さよなら」といってましたけど。子ども達も泣いてませんでした。」
他のイラク人の家族も見送りに来ていましたが、残っている品物を誰がもらうかでもめていました。
「嵐のような4日間で子守り三昧でした。もうこれで十分と思うくらいお付き合いさせていただきました。イラクに帰って、アファークを広めて欲しいと思います。新しい家族とともに」
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ムハンマド君もチョコが大好き!
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台風のように去っていきました(写真は西村さん)
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by kuroyonmaki | 2010-02-12 18:53 | アンマン滞在日記

アンマンに着きました

久しぶりのアンマンは、思ったよりぽかぽかしています。春という感じ。
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となると、このスギ花粉が結構くせもの。
ついてそうそう鼻ががむずむずします。
 
ドバイからアンマンに向かう飛行機では、バレンタインデーを仲良く迎えようという日本人カップルが乗っていました。
飛行機の中で、女の子が、男の子の白髪を抜いてあげていました。
人前で白髪を抜くというのも若いから出来る特権ですね。僕なんか白髪抜かれちゃったら、髪の毛、残らなくなってしまうわい!とおもい恨めしく見ていましたが、アラブ人ぽいすスチュワーデスがあわててやってきて、
真顔で「頭の中に、虫(蚤)でもいるのですか!」
思わず笑ってしまいましたが。
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by kuroyonmaki | 2010-02-12 04:39 | アンマン滞在日記