中東を拠点に国際協力の分野で活動する佐藤真紀のオフィシャル・ブログ コメントはkuroyonmaki@yahoo.co.jpまで


by kuroyonmaki
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カテゴリ:カンボジア( 2 )

シェムリアップ

11月6日、今日はカンボジア最終日。
JVCのプロジェクトサイトの訪問だ。シェムリアップから一時間車ででこぼこみちを走る。
農村が広がる。
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JVCは有機農法などの農業技術で終了をあげて、村人が食えるようにしようと言うわけだ。
他にも、家庭菜園を奨励している。
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村の交通手段は牛がよく使われる。畑を耕すのも牛。
でも糞をする。
雨が降れば糞が泥に混じる。
汚い。
雨が降れば、水がたまり、牛の糞が混じった池ができて、子どもたちはまるで水牛のように、糞の混じった水で泳ぐ。
それでも、病気にならないのか?
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田んぼの近くには、雨季になると水があふれるので子どもたちが泳ぐ。そして小魚を取って食べる。
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そして、雨水をためて飲む。
まさに恵みの自然。
カンボジアの農民はたくましい。
自然の中で生きていける力を備えている。
僕たちには多分できないことだろう。体のつくりが違うのだ。
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私は、JVCで8年間働いてきたが、一度もカンボジアには来た事がなかった。
今頃になって、JVCの原点とも言うべき土地を訪れたのも何かの縁だ。
ポルポトは、カンボジアの豊穣な土地を見て、原始共産主義を掲げたが失敗した。
内戦は多くの難民を生み出し、隣国タイにいた日本人たちが立ち上がり難民支援のJVCができた。JVCはやがて、難民を生み出さない社会を作ろうとカンボジアへ入っていく。
それは、技術学校や医療であったり、農村開発だったが、私がJVCにいたときでも、いろいろ議論がされていた。
内戦は終結し、人々は、農村を離れて、町の工場に出稼ぎに行く。
経済は良くなったり悪くなったりするものだし、一体この国にとって何がいいのかは、よくわからないし、NGOに一体何ができるのかますますもって難しいなあと思ってしまう。
ただ、カンボジアの子どもたちのはにかんだ微笑は、魅力的だ。
村の子どもは、はだしでパンツもはいていない。
それではいけないのかもしれないし、そういうものかもしれない。
それも僕にはわからない。変化というものも必要だろうし、彼らが必要と思えば変化していくだろう。
今回は、一眼レフを持っていかなかったから、子どもがファインダーから逃げるスピードに追いつかなかった。次回は一眼レフを持っていきたい。
まだ、消化し切れていないのだが、いろいろ勉強になった。
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by kuroyonmaki | 2008-11-09 03:25 | カンボジア

農村へ

11月5日
再び、ドミニクさんと。
コンポントムの農村で支援していたセンターがあったが、所長が死んでから、奥さんが子どもたちをいじめるようになったのか、孤児たちは逃げた。親戚などに面倒を見てもらっているが、フランスの里親たちが奨学金を払って15人ほどの子どもたちを高校に進学させている。
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コンポンチャムあたりのドライブインでパイナップル売りに出会う。
子どもは、カメラ向けると泣き出した。
さて、村に着くと15人の奨学金を受け取る子どもたちが集まってきた。
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彼らは、親が死んだり、出稼ぎで行くへ不明になった子どもたちである。
そこでハプニング。
小さい子どもがやってきて、15歳だという。
ドミニクさんは、「どうしてこのコが15歳だっていうの?この手紙をこのコが書いたって言うの?」その手紙は、奨学金を依頼する趣旨がかいてあるという。
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JVCの山崎さんは、「もしかしたら、こんな小さくてもカンボジアでは栄養失調とかで背が伸びないこともあるから」といって子どもにクメール語で聞いてくれた。
「やっぱり本当は一年生です」
「昔は、こんなうそをつくコはいなかったわ」と怒りまくるドミニクさん。
ドミニクさんは、シャンプーや石鹸、歯ブラシなどをセットにしたのを配り終えると、奨学金を手渡して、以前センターがあったところを見せてくれるという。

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街道沿いに面したセンターは、子どもたちが暮らすのには、とてもいい場所だった。
今は、センターの所長の遺族が暮らしていた。
自分たちが支援したセンターを奪い取られたというドミニクさんは悔し涙をうっすらと浮かべていた。

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by kuroyonmaki | 2008-11-09 01:51 | カンボジア