A Happy new Year
2007年 01月 02日
無事にアンマンに着きました。ちょうどパリからアンマンに向かう飛行機の中で、カウントダウン。新しい年、2007年がやってきました。しかし、時差の関係で、アンマンはまだ2006年。
同じ飛行機にはがたいのいいコロンビア人がたくさん乗っていました。英語がまったく通じないのですが、米国の民間警備会社に雇われて、これからイラクへ行くそうです。
さて、飛行場でタクシーに乗るとラジオでは、サダムの最後の言葉を放送していました。ドライバーはサダムが好きで、涙を流さんばかりにラジオを聞いていました。
夜、ヨルダン人の友人をたずねました。
「日本では、初詣をするけど、ヨルダンはどういうお祝いをするのかな」と尋ねたところ、「お前が行きたいんだったら、パーティに連れて行ってあげよう」とうれしそうです。疲れていたのですが、取材の意味もかねて、ついていくことに。
そこは、ホテルのバーでした。なんと、お姉さんが数人、セクシーな格好をして出迎えてくれます。しかし、濃いーなあ。何でもここで雇われている女性は、ウクライナ、ブルガリア、シリア、イラクだそうで、ヨルダン人はいません。みんな、ちょっと太りすぎというか。。。。けばすぎ。
友人は目が点になって、きょろきょろしていましたが、テーブルにきて、お話をするとお金を払わなければいけないようで、友人は敬虔なイスラム教徒で、お酒は飲まないのでジュース。私もなんとなく遠慮してジュース。音楽もうるさいし、帰りたいなあと思いながら、イラクのお姉さんが、ジュースを継いでくれたので、ついサダムの話をしたくなりましたが、場所が、場所なのでやめておきました。
しばらくすると、そのお姉さんの友人のカップルがくるので同席させてほしいといわれました。そのカップルもイラク人。何でも、お姉さんと彼氏だそうです。彼らはクリスチャンだそうですが、もう、バグダッドには住めないと、一週間前に逃げてきたとのこと。
「サダムは、立派だった。」といいます。給仕のおねぇさんも、悲しくて涙が出てきたといっていました。こういうナイト・ライフも考えてみれば、サダム政権下に栄えたのかもしれません。
バース党はもともとシリアのキリスト教徒のミシェル・アフラクが唱えたものでしたが、政権抗争で破れ、イラクに逃れたのでした。宗派に関係なく、アラブ民族が、社会主義で統一するというアラブ社会主義連邦を作ろうとしていましたが、結局誰にもそれは果たすことができず、サダムも最後の言葉は、神は偉大なり、ムハンマド以外の使徒はなし、というものでした。
世俗的で、キャバレー好きのサダムというイメージからは意外かもしれませんが、イスラムは、歳をとるにつれて、どんどん敬虔になっていきます。だから、サダムも若いときとはずいぶんと変わったのかもしれません。つかまってからのサダムは、どうせ助からないこともわかっていたせいもあり、裁判でも説得力がありました。アメリカは、そういうの嫌がったし、イランももっと嫌がったのかもしれません。ハラブジャの化学兵器疑惑は、ガスの種類からイランではないかという疑問が前からあったし、アメリカも化学兵器に関してはその当時は何ら非難しなかったわけですし、いったいどれだけの会社が、武器を供与したのかというのも問題になってきます。
「マリキが、処刑を急いだのは、イランにコントロールされているからだ。マリキはイラクを捨てた。イランの一部にしようとしている。私たちにはいくところがない」
新しい年を祝いながら、イラク人たちは、将来を憂いていました。
なんといってもこの二人の関係!
同じ飛行機にはがたいのいいコロンビア人がたくさん乗っていました。英語がまったく通じないのですが、米国の民間警備会社に雇われて、これからイラクへ行くそうです。
さて、飛行場でタクシーに乗るとラジオでは、サダムの最後の言葉を放送していました。ドライバーはサダムが好きで、涙を流さんばかりにラジオを聞いていました。
夜、ヨルダン人の友人をたずねました。
「日本では、初詣をするけど、ヨルダンはどういうお祝いをするのかな」と尋ねたところ、「お前が行きたいんだったら、パーティに連れて行ってあげよう」とうれしそうです。疲れていたのですが、取材の意味もかねて、ついていくことに。
そこは、ホテルのバーでした。なんと、お姉さんが数人、セクシーな格好をして出迎えてくれます。しかし、濃いーなあ。何でもここで雇われている女性は、ウクライナ、ブルガリア、シリア、イラクだそうで、ヨルダン人はいません。みんな、ちょっと太りすぎというか。。。。けばすぎ。
友人は目が点になって、きょろきょろしていましたが、テーブルにきて、お話をするとお金を払わなければいけないようで、友人は敬虔なイスラム教徒で、お酒は飲まないのでジュース。私もなんとなく遠慮してジュース。音楽もうるさいし、帰りたいなあと思いながら、イラクのお姉さんが、ジュースを継いでくれたので、ついサダムの話をしたくなりましたが、場所が、場所なのでやめておきました。
しばらくすると、そのお姉さんの友人のカップルがくるので同席させてほしいといわれました。そのカップルもイラク人。何でも、お姉さんと彼氏だそうです。彼らはクリスチャンだそうですが、もう、バグダッドには住めないと、一週間前に逃げてきたとのこと。
「サダムは、立派だった。」といいます。給仕のおねぇさんも、悲しくて涙が出てきたといっていました。こういうナイト・ライフも考えてみれば、サダム政権下に栄えたのかもしれません。
バース党はもともとシリアのキリスト教徒のミシェル・アフラクが唱えたものでしたが、政権抗争で破れ、イラクに逃れたのでした。宗派に関係なく、アラブ民族が、社会主義で統一するというアラブ社会主義連邦を作ろうとしていましたが、結局誰にもそれは果たすことができず、サダムも最後の言葉は、神は偉大なり、ムハンマド以外の使徒はなし、というものでした。
世俗的で、キャバレー好きのサダムというイメージからは意外かもしれませんが、イスラムは、歳をとるにつれて、どんどん敬虔になっていきます。だから、サダムも若いときとはずいぶんと変わったのかもしれません。つかまってからのサダムは、どうせ助からないこともわかっていたせいもあり、裁判でも説得力がありました。アメリカは、そういうの嫌がったし、イランももっと嫌がったのかもしれません。ハラブジャの化学兵器疑惑は、ガスの種類からイランではないかという疑問が前からあったし、アメリカも化学兵器に関してはその当時は何ら非難しなかったわけですし、いったいどれだけの会社が、武器を供与したのかというのも問題になってきます。
「マリキが、処刑を急いだのは、イランにコントロールされているからだ。マリキはイラクを捨てた。イランの一部にしようとしている。私たちにはいくところがない」
新しい年を祝いながら、イラク人たちは、将来を憂いていました。
なんといってもこの二人の関係!
by kuroyonmaki
| 2007-01-02 12:31
| アンマン滞在日記