あしたのチョコができるまで 9 -アヤちゃんの最後の絵‐
2013年 01月 25日
絵を描いたのは、アヤ・ハイサム。
2010年、ウィルムス腫瘍だったが、診断ミスがあって、治療がうまく進まず、亡くなった。
絵が大好きな子だったので、2009年、2010年のチョコ募金で使った。たくさんのスケッチブックをいただいて、いづれ何か形にしたいと思っていた。昨年、5月、バグダッドにでかけ、アヤの遺族に会いに行った。
お父さんは、医者に、「今の治療じゃだめだ。一か月に一回くらい病院に来るだけでいい。そういう薬はないのか」と食って掛かった。
バグダッド。貧しくて毎日病院に連れてくるのができないのだ。薬をまとめてもらってきて、家で点滴をしていた。
チョコのパッケージをとても大切にお母さんが持っていてくれたのはうれしかった。パーティの絵が多かったのは、
「生まれてから一回くらいしか、ちゃんとした誕生日がやってあげられなかったの」とお母さんが話してくれた。
最後にかいていたというスケッチブック。
7月にみんなでアルビルで滝を見に行ったときの絵がある。お母さんや兄弟に、説明していたんだろう。
ああ、楽しい思い出を作ってあげることができてよかった。
その中に、自転車に乗っている少年の絵があった。
bye-bye Maki と描いてある。これは、僕の息子が1歳の誕生日に買ってもらった三輪車に乗っている絵だ。
7月に、写真を見せて描いてもらったのだが、家に帰ってまた書いてくれたのだ。今度は、少し大きくなっている。
最後の絵が、息子の絵だった。僕は、なんだかとても感動した。
「描いてくれてありがとう」本当にアヤは絵が上手くなっていって、楽しみだった。
この絵を使わない手はなかった。
2010年、ウィルムス腫瘍だったが、診断ミスがあって、治療がうまく進まず、亡くなった。
絵が大好きな子だったので、2009年、2010年のチョコ募金で使った。たくさんのスケッチブックをいただいて、いづれ何か形にしたいと思っていた。昨年、5月、バグダッドにでかけ、アヤの遺族に会いに行った。
お父さんは、医者に、「今の治療じゃだめだ。一か月に一回くらい病院に来るだけでいい。そういう薬はないのか」と食って掛かった。
バグダッド。貧しくて毎日病院に連れてくるのができないのだ。薬をまとめてもらってきて、家で点滴をしていた。
チョコのパッケージをとても大切にお母さんが持っていてくれたのはうれしかった。パーティの絵が多かったのは、
「生まれてから一回くらいしか、ちゃんとした誕生日がやってあげられなかったの」とお母さんが話してくれた。
最後にかいていたというスケッチブック。
7月にみんなでアルビルで滝を見に行ったときの絵がある。お母さんや兄弟に、説明していたんだろう。
ああ、楽しい思い出を作ってあげることができてよかった。
その中に、自転車に乗っている少年の絵があった。
bye-bye Maki と描いてある。これは、僕の息子が1歳の誕生日に買ってもらった三輪車に乗っている絵だ。
7月に、写真を見せて描いてもらったのだが、家に帰ってまた書いてくれたのだ。今度は、少し大きくなっている。
最後の絵が、息子の絵だった。僕は、なんだかとても感動した。
「描いてくれてありがとう」本当にアヤは絵が上手くなっていって、楽しみだった。
この絵を使わない手はなかった。
by kuroyonmaki
| 2013-01-25 22:47
| あしたのチョコ