オスマンが死んでいた
2010年 10月 17日
オスマンは、モスルの男の子。7歳だったと思う。
モスルは、治安が悪化してめちゃくちゃになってしまった。優秀なリカー先生もキリスト教徒だということで迫害された。もうモスルには残れないというので、日本での研修の段取りを考えていたら、JICAが協力してくれた。
しばらくは、信州大学でドクターコースで勉強している。
しかし、一方のモスルは、きちんと治療できなくなってしまった。それで、オスマンのように、ヨルダンまで来て治療を受ける患者が増えた。
オスマンは骨髄移植が必要だという。約1000万円。JIM-NETが一人の患者にこれだけのお金を出すことは無理だが、100万円を出して、残りの900万円は、ヨルダン人やドバイの金持ち、イラクの金持ち、そしてUNHCRの難民救済のお金などが集まった。
オスマンは、ニューロブラストーマという癌だったが、治療は順調だった。
なぜかいつもスーツを着ている。
「なんで?」と聞くとお父さんが「この子は、スーツが好きなんだ。」という。TVの影響を受けやすいのだろう。
いつも、○○ごっこをやっている。
5月、ピースボートがアンマンにやってきたときには、皆をとても楽しませてくれた。
9月、ラマダン明けの休暇で、イラクに戻っているときに様態が急変し、ヨルダンまで戻ってきたときは既に手遅れだったという。
残念でならない。
オスマンは、よくふざけて、警察官を演じてみたり、テロリストを演じてみたりして遊んでいた。
by kuroyonmaki
| 2010-10-17 01:44