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中東を拠点に国際協力の分野で活動する佐藤真紀のオフィシャル・ブログ コメントはkuroyonmaki@yahoo.co.jpまで


by kuroyonmaki
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サダコの千羽鶴 その1

僕は、初めてイラクに行ったとき、サダコの話をイラクの子ども達にしようと思った。2002年、イラク戦争が始まる前。僕はパレスチナに住んでいて、近くには、日本山妙法寺の堀越和尚がいつも飯を食いに来る。そして、サダコの話をうれしそうにするのだ。パレスチナの子ども達に千羽鶴を教えていた。僕も手伝った事がある。
「ただ、おり方を教えるだけじゃダメです。サダコの話をしなさい。」と諭された。
おかげで教え方もうまくなった。アメリカは、イラクが核開発を行っていると決め付けていて、攻撃をほのめかした。
イラクが、核兵器を作りたいというのなら、それがどれほど恐ろしくて、悲しいものか。僕たちはそれを伝えなければいけない。それが核兵器廃絶の地道なやり方だと思った。でも、そんなに、単純ではなかった。イラクの子ども達は、核兵器なんて要らない。日本はアメリカのようになっちゃだめだ!とイラクの子ども達が訴える。まるで、日米同盟の裏側まで知り尽くした上での助言のようにも感じられた。実際、昨年オバマが、プラハで、核廃絶を訴えたときに、一番うろたえたのは日本だという。「お願いだから、核の傘をちゃんとさしていてください」というのだ。そんな日本とアメリカの関係をイラクの子ども達は、見抜いていたのだろうか。このイラク戦争は、もはや、イラクサイドの問題ではなかった。彼らは、核は持っていない、お金もないから開発する力もない。と明言していたのだ。そして何よりも、そんなものを使われたら、どんなことになるか、みんな良く知っていた。それでも、アメリカを信じるのか否か、それは、我々の問題だったのだ。
僕の平和運動=イラクを攻撃させない。は、見事に失敗した。
tennrannkai
 1999年
Dome
 2000年
Golan sing

1999年から2001年まで、毎年パレスチナで、原爆展をやった。
Imagine 2


sennbaturu

原爆というテーマをいかに「破壊」ではなく「創造」として表現するか。
イラクでも同じだった。
イラク 104

でも、イラクは、もっと現実的な国だった。サダム・フセインにみんな忠実で、子ども達もそれはもちろんなのだが、一方、忠実に振舞っていたこともあり、どこかいつも冷静で、大人びているような気さえした。
僕は、サダコの話をして、イラクの子ども達はサダコのことを想像して、絵にした。「日本は、アメリカのようにならないで」と添えてあった。
by kuroyonmaki | 2010-08-11 09:14