人気ブログランキング | 話題のタグを見る

中東を拠点に国際協力の分野で活動する佐藤真紀のオフィシャル・ブログ コメントはkuroyonmaki@yahoo.co.jpまで


by kuroyonmaki
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

サブリーンのお別れ会、無事に終わる

12月2日、サブリーンのお別れ会が無事に終わった。
イラクのアーティストとして、ちゃんとした会をしてあげたかった。
当日は、朝から会議が続き、準備が遅れてしまった。40枚の絵をつるすのに結構時間がかかる。
今回は、反射とかしないように、ポスターをしっかりと見てほしいとの意図から、アクリル板を取ってしまった。
生でつるすことに。このポスター、水性インクなので、くしゃみとしたら、ダメージが残るので慎重に扱わなければ。
開場時間の前からまっているお客さんもちらほら。
サブリーンのお別れ会、無事に終わる_b0041661_1112267.jpg

一人の少女が駆け抜けた、4年間。
サブリーンの最後の言葉は、何度も紹介したように、「わたしは死にます。でも、幸せです。なぜなら、わたしの絵をチョコレートに使ってくれるといっていたから。イラクの子ども達を(チョコレートの募金で)助けてください」
だから、僕たちは、彼女の描いた絵をつかったチョコレートで、募金を頑張ってあつめ、薬を送り続けなければいけない。今までやってきたことをまた延々と続けていく。
でも、僕は、引っかかってしまった。彼女は、生きたい!ともがいていた。「マキおじさんなら助けてくれるの?」とイブイラヒムに聞いていたそうだ。彼女は、もっと、もっと、生きたかったにちがいない。
彼女が入院したときいて、僕は、バスラに会いに行こうと本気で思った。
仲間が死にそうなのに、イブラヒムは、止めろといった。「今のバスラは危険だ。マキが死んだら、JIM-NETはどうなるんだ。イラクの子ども達はどうなるんだ」
痛いところを付いてきた。JIM-NETはあまりにも小さな団体だ。確かに、代わりが育っていない。
だから僕は、バスラに行くのを止めた。良かったと思っている。最後のほうで毎日イブラヒムが送ってくる写真は、耐えられないものだった。たとえ、彼女のお見舞いに行った所で、何の役にも立たなかっただろうし、少女が、もがきながら、衰弱していく姿を見るのは、もっと辛かっただろう。

サブリーンのお別れ会、無事に終わる_b0041661_1243984.jpg

サブリーンは、自分の目のガンはアメリカが落としていった爆弾のせいだ。といっていた。
劣化ウラン弾のことを言いたかったのだろう。
サブリーンのガンが、劣化劣化ウラン弾と関係しているという因果関係は、もう、証明できない。
でも、可能性は少なくないだろう。
それでも、日本政府の態度はというと、2003年の10月国会の答弁で
川口国務大臣〈当時)は 「劣化ウラン弾につきまして、アメリカ軍のブルックス准将が、アメリカ軍は少量を持っているけれども、それをイラクで使ったかどうかということについては何も言っていないということでございます。それで、政府といたしまして、アメリカ軍に対して、米政府に対しまして、それを使ったかどうかということの問い合わせをいたしました。何回かいたしましたけれども、それに対しては、米軍としては、ブルックス准将が言ったように、米軍は持っているけれども、それは少量であって安全性に問題はないと考えている、それをイラクにおいて使ったかどうかということについては言わないという回答を得ております。」
アメリカは言わないよ、ということを確認してそれで終わりだ。
とても悔しくなってしまう。もう少し誠意を持った答弁にはならないのか。
6年たってサブリーンが死んだ。悔しい。
あらためて、この戦争はなんだったんだろう。
サブリーンのお別れ会、無事に終わる_b0041661_1361489.jpg
サブリーンのお別れ会、無事に終わる_b0041661_1364217.jpg

鎌田先生も朗読で、サブリーンの思い出を語る。
開場には、水牛でお世話になっている、高橋悠治さんや、評論家の湯川れい子さんも駆けつけてくれた。
いい会だったと思う。
さようなら、サブリーン。
by kuroyonmaki | 2009-12-07 01:38 | サブリーン