人気ブログランキング | 話題のタグを見る

中東を拠点に国際協力の分野で活動する佐藤真紀のオフィシャル・ブログ コメントはkuroyonmaki@yahoo.co.jpまで


by kuroyonmaki
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

自分が一番の被害者

イラン系クルド難民のAくん。ノーマンズランドから移って来た。彼は、KDPI(イランクルド民主党)に属していたとして、自らは政治難民だと主張している。
いつも早口の英語でまくし立てる。
「私たちは苦しんでいる。UNHCRは何もしてくれない」最近ではUNHCRの文句ばかりが出てくる。
UNHCRのことはおいといてどんな風に大変なのか具体的に知りたいのだ。
日本から電話しても、決まりきった抗議文を朗読するようなしゃべりが続き、電話代がかさむ。
キャンプインした初日。
UNHCRから頼まれていた患者の診断。
7月5日に、ノーマンズランドから移されてきたクルド系難民は、兎も角、キャンプ生活のひどさをまくし立てたのだ。鎌田先生が、「病気は治っているんだよ」といっても、納得しない。
ひとつは、日本の医師が、如何に大変な病気にかかっているのかを証明してくれれば、難民キャンプを出られると思っている。
 A君は、私に取り巻き、UNHCRの苦情を言い続けた。気持ちはわかるのだが、政治難民の受け入れに関しては、私たちには、何もできないのが現状だ。
自分が一番の被害者_b0041661_1633011.jpg

 夜、僕は、A君を連れ出し、パレスチナ人の難民キャンプを訪問した。マフムード君14歳のテント。おなかには手術の傷跡がなまなましい。
「ラマダンしている?」と私が聞くと、「この子は腎臓がひとつしかないから」という。
彼は、2007年4月15日、爆弾テロに巻き込まれ、鉄の破片が腎臓に突き刺さって、腎臓を摘出。
一ヶ月さらに、5月29日に爆弾テロに巻き込まれて、今度は足を怪我した。
そして2008年、お兄さんがテロに巻き込まれる。3月6日爆発にあい、5日間病院に入院するが、意識は戻らず11日に死亡した。
イラク人の場合テロに巻き込まれた場合は、殉教者としてお金がもらえるが、パレスチナ人なので一切お金は出なかった。2008年8月8日に、武装したバグダッドの政府が入ってきて、このビルから出ろと命令した。このビルは政府のビルだから出て行けという。出て行かないとすべて殺すというのです。」
 私たちが話を聞いていると、親戚が集まってきた。
無邪気に遊ぶ4歳の少女ウードちゃん、しかし、この子は、お父さんがいない。
ルウェイダさんは、マフムード君のおばさんだが、イラク人と結婚してバグダッドに住んでいた。22歳。2004年の12月のことだ。ルウェイダさんは妊娠5ヶ月だった。「銃を持ってきた警察がやってきて、ドアをノックした。夫が出て行くと、銃声がして、夫が死んでいた。車は去っていった。2009の一月にキャンプに逃げてきた。政府がここに住むなといってきたので逃げてきた。
夫はなぜパレスチナ人と結婚するのかといわれてころされたのよ。」
自分が一番の被害者_b0041661_2340148.jpg


イブラヒムさんは、70歳だ。
「わたしは、息子と一緒に逮捕されました。12時の夜やってきて、飛行場にある刑務所に連れて行った。40日間収容されました。パレスチナ人はテロを支援しているというのです。私は拷問されなかったが息子は拷問されましたよ」
60歳のバルキースさんは、
「民兵が入ってきて私の25歳の息子を誘拐しようとしました。わたしと傍にいた妹でやめってといって、彼をかばおうとしたら撃たれました。弾丸は胸を貫通しましたが命は助かりました。娘も怪我をしました。」
 バグダッドにすんでいたパレスチナ人はすでに、2000人近くになるといわれています。
さすがのA君も驚いていました。
by kuroyonmaki | 2009-08-25 17:49 | 難民