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先ず、5月18日、朝の7時に、アルワリードから入院していたハリッドさんと付き添いのアザッドをひろいバグダッドを出発しました。
シリア国境が目前に迫ったアルワリードキャンプに到着したのは10時ごろです。まずハリッドさんを家族に無事に送り届けました。妻をはじめ家族はとても喜んでいました。 病院の診断では、脳血栓ではなく、精神的なストレスからくる歩行困難とのこと。JIM-NETは、彼の数か月分の薬を約2万円支援しました。 ![]() ![]() 現在、難民の数ですが、バグダッドから避難しているパレスチナ難民が約90人ほど。イラン系クルド難民が160人、アフワーズ(イランのアラブ人難民)が10人くらいで300人もいません。キャンプに入る前には、警官が「どうしてキャンプに来たのか」といったいくつかのセキュリティ上の質問を受けました。私は、かつてUNとイスラミックリリーフが使っていたコンテナに行ってみましたが、誰もおらず、近くのテントには、女性がいすに坐って、なにやら助けを求めていましたが、障害があり旨くしゃべれないようでした。夫が出てきて、「食べ物も、水もないのです。シャワーも浴びる事ができません。」 彼らは、実際とっても汚かったのです。テントの中を見せてもらいましたが、ひどい状況で、暑くてとても汚いのです。 ![]() 水道が使えるのは2日に一回。しかも一時間だけとのこと。 別の人にも聞いてみました。アフワーズ(イラン南部のアラブ人)の人で、彼は、生活はもともかく、警察の態度を心配していました。「5人のキャンプにいたソマリア、リビヤ、スーダン人らが、突然警察に連れて行かれ、10日になりますが戻ってきません。私たちもバグダッドに連れて行かれるのではないかと恐れています」 水に関しては2日に一時間だけ国境のタンクにつながっているパイプから流してもらっているようです。電気は全く来ていませんでした。彼らは、氷の塊を買ってきて、飲み水につかっているようで、これはとても危険だと思いました。キャンプにはお店がひとつありとても高くキャンプの人たちがものを買ったりするのは大変ですし、警察の許可がないとキャンプの外にはでられないのです。以前は、彼らは、国境の入国管理局で掃除などの仕事についていましたが、今ではそれもカットされてしまいました。国境で野菜を運んでいるトラックなどを捕まえて、分けてもらったりして食いつないでいるとのことです。 かつて私たちが支援したクリニックは、閉鎖され誰もいません。緊急時の注射をする医者も看護師もいないのです。私たちが支援した機材はそのまま中にあるようです。 A・サイード@アルワリード 皆様からのご支援を受け付けています。 郵便振替口座 00540-2-94945 口座名:日本イラク医療ネット 「難民支援」とお書きください .
タクシーの運転手も人道支援のリーダーだった。
タクシーの運転手が話しかけてきた。 「私の家の周りにも、シリア難民が何人かいて、何も持たない、食べるものにも困っている。かわいそうなので支援しているんです。見てほしい。そして少しでも慈悲を」と訴えられた。ルッツフィーさんは、60歳くらいで見るからにハッジといういでたちだ。町内会で、古着とかを集めては、シリア人たちが住んでいるアパートにもって行く。25人くらいが支援対象になっている。 15日前にやってきた家族は、「ビルの建築をやっていました。ホムスでデモに参加したら、警察に逮捕された。43日間、腕を縛られてつるされて殴られた。脱臼したところが癖になっている」別の男性は、シリア兵に銃剣で腹を刺されたという傷跡を見せてくれた。携帯に入っている動画を見せてくれる。「親戚だ。拷問を受け戻ってきた遺体を確認している」そばにいた子ども達も一緒に覗き込む。 「6部屋に10家族が住んでいます。ここは、家具も何もないんです。ガスがあるのはこの部屋だけ。」 「この人の夫は、怪我した人を手当てしていたら撃たれて死んだ」 別の部屋では、妊娠中に国境を越えて逃げてきた若い女性が流産してしまい、マットレスに横になっていた。多くの女性は、むしろ話すことで気を紛らわせようとしていた。一方男たちの目は、恐怖と不安で沈んでいる。 ![]() ![]() (この家族は写真撮影におおじてくれたが一応顔は隠しておきます) ![]() 顔を出したくない人は後ろ向いてくださいといったら子どもだけになってしまった。 ![]() この人がタクシードライバー 人道支援団体とかの支援活動にはどうしても距離感があり、写真撮影などもしにくい雰囲気もあるが、町内会レベルでの支援に信頼関係ができているのだろう。写真撮影もスムーズにいった。草の根的な支援の輪に僕たちも加わりたいと思う。
アルマフラクには、10万人のシリア人がいるという。町の人口の30%がシリア人になってしまった。
先ほど取材させてもらった、原発の反対運動をやっているマフラックの青年同盟が、難民支援もやっていた。 ![]() この事務所に登録している難民のファイルだという。 そして、住民に呼びかけて古着を集めている。 ![]() しかし、見事に古着が集まり、果たして喜んでもらえるのかどうか。 マフラクの住民時は何かしたいという気持ちが強い。 担当のムハンマッドさんは、アンマンから医師を呼んで健康相談をしているという。しかし、9月と1月、4月の3回だけであり、難民のニーズを満足する事はできない。 「いま、食料を配ろうとしています。財源は限られているけど、支援が必要だ」という。 ![]() シリア人が借りているアパートを訪問する。ホムスから逃げてきたおばさんは、「洗濯機が欲しい」と詰め寄った。 ![]() 家賃は大体100JD前後。難民の中にも格差がある。 ![]() かつて、僕たちがアンマンで支援していたイラク難民も似たような状況だった。
「シリア危機と難民」
僕は旅に出ると難民のことを考える。故郷や家族から離れてさまよう旅人の寂しさは、難民の心を理解するのにはほどよいのかも知れぬ。 6月20日は世界難民の日だ。 イラク戦争では、400万人を超える人たちが家を失った。 日本でも、地震と津波、福島第一原発事故で、避難生活を送っている人は33万人。今まで支援する対場だったのが、支援される国になった。昨年の2月から悪化したシリア情勢、周辺諸国へ避難する人たちは、23万人(毎日新聞3月13日)にのぼる。私たちの活動拠点であるイラクにも難民が流れ出した。故郷を失った人々に私たちに今度は私たちに何ができるのだろう。 ![]() ヨルダンのシリア難民は、10万人を越えている。しかし、難民登録を済ませたものは9500人で登録待ちが4000人。難民キャンプがあるわけではなく、アンマンやマフラクといった都市でホテルやアパートを借りて自力で生きていかねばならない。3万人は最低限の支援が必要だという。 国境の町、ラムサは、シリアの激戦地になっているダラーから5kmほどしか離れていない。闇で国境を越えてくるシリア人を受け入れているのが、シャバーブシャというビジネスマンが解放した5棟のアパートで、ヨルダンの当局が厳しく管理している。ほとんどのシリア人はパスポートも持たずに逃げてくる。ヨルダン人の身元保証があれば、ヨルダンでの滞在が許される。私が訪問すると、建物の外で、多くの人たちが談を取っており、何かを訴えたいのかわさわさと集まってくる。建物の中には着の身着のままで逃げてきた人たちがいた。15畳ほどの部屋に20人が雑魚寝している部屋や、トレーラハウスに寝ている人もいる。私が昨年、石巻に入ったときには、まるで、戦場のようだと感じたが、今度は逆に、避難所の体育館を思い出す。一日400人から700人が国境を越えてくる。 「昼間はシリア軍が見張っているので、動けません。夜、200人くらいが集まって、50人くらいの自由シリア軍がエスコートしてくれ、歩いて国境を越えました。」パルチザンのようだ。映画「サウンドオブミュージック」のナチスドイツからの逃亡シーンが思い浮かぶ。そして、福島の人たちが、周りからの非難されることを恐れ夜こっそりと家を出て行くという話とも重なった。 奥のほうでは、汚れひとつない真っ黒なアバヤ来た清楚な女性が携帯電話で泣きながら話をしている。 「あの人は、昨日来たんです」汚れた服をまとっている難民の女の子が指差した。 ![]() マフラックに作られた避難所だが使われていなかった。
さて、5月8日、バグダッドから、アブサイード、バスラからイブラヒムがアルビルにやってきた。
夜、無事に到着すると早速3人で翌日のプレゼンの準備。イブラヒムは、怖がりのくせに、人まで話すのは結構うまい。一方アブサイードのじいさんは、そういうのが余り得意じゃないから、早速練習。パワーポイントの資料を僕が作ってやった。アブサイードは一生懸命原稿を書いて、まるで演説するように読んでいた。やっぱりあの世代の人。あじるの好きみたい。 ナナカリー病院では昨年の秋に、念願のプレイルームが開設された。ペイマン医師は、JIM-NETが最初にナナカリー病院を訪問した2009年から、「プレイルームを作って欲しい」といい続けてきたが、ついに保健省から予算が付き念願がかなった。 JIM-NETが中心となり、ボランティアを集めて、運営に協力してきた。しかし、日本人スタッフがいないと、ボランティアを運営するキャパシティが病院にはなく、プレイルームには、たまに子どもがきておもちゃや絵本を借りていくだけになり、机やおもちゃはほこりだらけになっていた。 掃除機そのものがほこりをかぶっているのだ。使わなければほこりをかぶるのは仕方がないが、看護師に聞くと「毎日子どもがいつ来てもいいように開けてあります」という。 ![]() 日本とは違って、ともかく砂埃がすごいのだ。中途半端なおもちゃは置かないほうがいいというのも一理ある。 ならばやはり、有効に使わなくてはならぬ。 そこで、プレイルームの運営に関してのワークショップを開催してみようということになった。バスラ子ども病院には、イブラヒムが頑張っている。 バグダッドの医師たちは、最初の頃は、「プレイルームなんかより、薬が足らないんです」といって全く関心を示さなかったが、会議の度にイブラヒムの活動の話を聞き、最近では、「プレイルームを作りたい」ということになり、昨年からアブサイードが運営を始めた。イブラヒムの話は、きっと何かヒントになるだろう。 特に、看護師たちに問題点を話し合ってもらおうと、ペイマン先生に看護師を集めてもらった。 ![]() バスラの院内学級の歴史からイブラヒムが語りだした。妻を白血病で亡くしたことから患者の扱いには長けていた。家族の悩みもよくわかる。みようみまねでやってきた活動を深めるために2008年にはシリアのNGOでトレーニングも受けた。 JIM-NETのバスラでの活動は、1)医療支援、2)精神的な支援3)教育支援、4)経済支援だが、2)と3)はプレイルームで行なわれる。 スタッフは、イブラヒムを含めて3人だ。教育省から派遣されているマナールという先生と、元患者のザイナブという3人のチームワークが実にいい。 ![]() [左:ザイナブ 右:イブラヒム] 活動内容を一通り説明すると、一人の患者をどのように支援してきたかの例として、サブリーンのビデオを見せた。 ナナカリーのスタッフの中には涙を浮かべて見ていた人もいた。 続いて、アブサイードが昨年はじめた活動を紹介。「たくさんの子ども達が、とても楽しみにしているんです。」 続いて、感染症対策について問題提起がされた。 「アルコールジェルはどこにおけばいいのか」 このような議論が看護師のなかでされる事はあまりないという。医者が言うとおりに動くだけだ。 「バスラは入り口だけです。しかし、携帯用のジェルを子ども達が持っているんです」 「バグダッドでは、感染症対策を子どもたちにわかりやすくするビデオを作っているんです」 いくつか質問がでたあと、プレイルームを見ながらのディスカッションが始まった。 今日は、とてもきれいに掃除してあるので驚いた。アルコールジェルもこの間は、箱の中に大切にしまってあったが、机の上においってあって誰でも使えるようになっている。 誕生日会のような飾りつけがあって、子どもにとっては、嬉しくなるような効果があるのだが、感染症対策を考えると好ましくない。 「それでは、飾りつけはパーティのときだけにしましょう」 やはり箱だけではだめで、そこにいつもいるスタッフが必要だ。しかし、病院では、医者とか看護師、薬剤師という概念はあっても、ソーシャルワーカーのようなスタッフは位置づけられないのだろう。 ペイマン先生は、「保健省に相談してみます」と力強く語った。 イブラヒムも、アブサイードも一仕事終えた充実感が漂っていた。 サブリーンのビデオ http://www.youtube.com/watch?v=JB-HrwwQu5Y さとうまき
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